2024/05/03

東光山英勝寺

 

自宅から徒歩5分ほどのところに東光山英勝寺がある。創建は寛永13年(1636)とあるので、それほど古い寺ではない。
この地は元々源頼朝の父義朝の屋敷が建っていたが鎌倉幕府崩壊の後は上杉氏の家臣太田道灌が居を構えた。しかし、道灌が暗殺された後は家が没落し、再建されたのは江戸時代になってからだという。
太田氏の血筋である「お八」が徳川家康の夫人になり、それからは家康が合戦に連戦連勝したことから「お勝」の名を賜った、と寺からいただいたしおりに記されている。
家康が逝去した後「お勝の方」は出家し、名を「英勝院」と改め還暦を機に寺を開いたのだ。

尼僧の寺ということもあり、私は今まで訪れたことがなかった。
たまたま通りかかったら総門が開いていたのだ。
犬槇の古木の根方にテントを張り、机を置いて臨時の入り口を設けていた。

鎌倉の風情が好きだ。
奈良や京都とも違う、スケールが小さいせいか自然との距離が近い。

数人のアマチュアカメラマンが白い藤の花にレンズを向けていた。


2024/03/28

別冊太陽「日本のグラフィックデザイン一五〇年」インタビュー

別冊太陽「日本のグラフィックデザイン一五〇年」

別冊太陽「日本のグラフィックデザイン一五〇年」十文字美信


別冊太陽「日本のグラフィックデザイン一五〇年」が発売され、インタビューコーナーで、わたしの仕事が取り上げられた。ライターは和田京子さん。短い時間の話からよくここまでまとめられたと感心した。
普段の写真を撮る作業から、グラフィックデザインまでは意識として距離があるけど、こうして雑誌の特集を組むにあたって私が呼ばれるのは、インパクトの強い記憶に残る広告写真を撮っていたからだろう。私が撮った当時の広告写真をみて、70年代、80年代という時代の環境が作品を生んだとよく言われるけれど、果たしてそうでもない。後世から振り返って結果的に時代が作り上げたと括られたわけで、携わっていた当人は時代を意識して撮影したわけではないのだ。当時もさまざまな試みで広告写真を撮っている人がいたわけだから。
つまらない広告を創ってしまう要因は、企業や商品を宣伝するという目的を重視するあまり、消費者といえども個人の集合体であることを忘れているからだ。その結果、繊細で複雑な個人の経験や知覚によって好みが決定され、場合によっては購買につながっていく事実も蔑ろにされてしまう。50年前当時、気づいていたとすれば、こんなことか。怯えていると感じるほど他者に気をつかって制作している広告が最近目につく。他者にどう思われるか、が意識の大部分を占めている現代人の特徴を反映しているからだろう。クリエイターが自由を失ってはインパクトある広告は生まれない。50年後にはまた違った風潮になっていると思うけど。


2024/03/25

やぐら

やぐら

地元鎌倉には「やぐら」と呼ばれる横穴式墳墓が多く残っている。現在は逗子市に属しているが名越の切通し奥にある「まんだら堂」のやぐらは中世の雰囲気をそのまま残して壮観です。それとは別の趣でひっそりとやぐらを守る寺院もある。アップした写真は私が好んで訪れるやぐら。自宅から20分ほど歩いた距離にある。


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