まだ暗いうちにホテルを出発して宇佐神宮の呉橋へ向かった。
神域への入り口であるが、この橋を渡った先には弥勒寺があったという。現在は礎石が残るのみで建屋はない。

橋を渡るというのは、こちらの岸から向こう岸まで身体を移すためだけにあるのではない。
渡りながら天地の間で呼応しつつ、魂を垂直に飛翔させるためにあるのではなかろうか。

 


 

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