2017/10/05

写真と珈琲のバラード(35)

久しぶりに珈琲の話。

私は昔ながらの手回し焙煎器を使っています。1kgという、手回しにしては大きな容量で焙煎出来るよう内部を工夫して作りました。8年前の初号から数えると現在6号器になります。これ以上大きな焙煎器を作ろうとすると、重量が重くなり過ぎて取り回しが出来ません。現在使っているのが、最終型かなと思っています。
さて、前回冷却についての話をしましたが、今回は冷却に関連した笊(ざる)の話です。
焙煎が終了した珈琲豆は冷やさなければなりません。それと同時に、焼けた豆から生じる煙と豆に付いてる「チャフ」と呼ばれている薄皮を破棄する作業が必要です。煙を逃し「チャフ」を捨てるには笊が最も適しています。ところが、一口に笊といっても用途に応じて形や大きさは千差万別。焙煎を始めた8年前、私は全くの未経験でしたから、笊の知識もありませんでした。
焙煎が終わった豆は、ものすごい熱を帯びています。直ちに笊にあけて豆がムラなく回転するよう前後に振るわけです。ちょうど農家の庭先で稲の籾殻を振り落としているあの感じです。ということは、回転しやすいような深さのある形が求められますね。大きさは焙煎した量に比例します。簡単な作業に思えるでしょうが、やってみると結構難しい。使いやすさは笊にもよるのです。

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2017/08/28

写真と珈琲のバラード(34)

9/16日に青山にある朗読スペース「本の場所」で話をします。

どのような経過で写真という目に見える作品になるのか、言葉にしてみようとする試みです。試み、なので、あくまでも実験的性格を要しています。「本の場所」の案内を開くとすでに満席になっているようです。たくさんの方、といっても25席で満席なのですが、この忙しい毎日のスケジュールのなかをやりくりして、わたしの話を聞きに来ていただくのですから、参加された皆様の少しでもお役に立つ話しが出来ればいいのですが、自信はないです。

「写真」は最も「説明」からは遠いところにあります。写真で写そうと思ったことを理解してもらうために言葉を尽くすと、やればやるほど写真から遠のいていきます。それを承知で、話をしようとしてるのですから、文字通りの自滅行為です。

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2017/07/15

写真と珈琲のバラード(33)

昨日、27歳の私の写真を見た。27歳の私がそこにいる。27歳の私は70歳の私を見返している。27歳の魂が写っているなら、写真の方が本物で70歳の私はなんだ?
27歳のまま立っている私と、老い続ける進行形で座る私。他者として出現してるのは27歳の私か70歳の私かどちらだ?

全てのものは徹底的に移ろう、何ひとつとどまってはいない。それが私の主義だ。

私にもいつの日か、移ろっていくものに対して感謝の気持ちが持てるようになるのだろうか。

写された写真を見て、魂を想像出来ないなんて愚かで野蛮な感受性だ。

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