2025/08/09

道筋

カメラを携えてはるばる国東半島まで来たものの、昔のようには脚も効かず、眼もよく見えない。写真家にとってピントの行方もおぼつかないとなると、残されたのはあと何年か。
自分が辿ってきた道筋は、はたして良かったのかどうかわからない。正しかったかどうかよりも、今だにこうしてワクワクするのだから、悔いのない時間を過ごしているのは間違いないのだろう。

目の前に在る小さな石仏をジッと見つめていると、この像を依頼した者も、彫った仏師も今では誰もが土の中だ。生きている間は何をしたい、何になりたいなどとあれやこれや考えるけれど、時が経てば行き着く先は一緒のこと。

珍しくセンチメンタルな気分に浸れるのも、私には白仏に出会う楽しみの一つです。

出来得るならば、感傷的気分から詩を感じ取る感受性まで遠く翔ぶことが出来たらどんなに幸せだろうかと願ってしまう。

 


2025/08/08

まだ暗いうちにホテルを出発して宇佐神宮の呉橋へ向かった。
神域への入り口であるが、この橋を渡った先には弥勒寺があったという。現在は礎石が残るのみで建屋はない。

橋を渡るというのは、こちらの岸から向こう岸まで身体を移すためだけにあるのではない。
渡りながら天地の間で呼応しつつ、魂を垂直に飛翔させるためにあるのではなかろうか。

 


2025/08/07

日本的美意識とは

歳をかさねてもまだ写真を撮っているのだからね、本当に心動いたモノだけを撮りたいと思います。

日本的美意識とは何か問われると、すぐ頭に浮かぶのは「わび・さび」ですが、侘びを美の概念としてまとめたのは室町時代です。
「わび」は洗練されてる分、私には情緒的に傾いて感じられる。開き直ってるところは好きですけど。

出会う自然や物事の中で、本当に美しいと感じたのならその瞬間の自身の感性を信じたい。
「わび」よりもっと直感的で野性的で、奔放で、大胆でそれでいてやはり美しいと感じられる、そんな美意識に支えられた写真を撮ってみたいのです。

 


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