2025/08/20

阿弥陀如来坐像

今朝目が覚めてまだ横になりながら記憶を遡っていた。

この50年間に数多くの仏像を撮影させていただきましたが、仏像となると必ずこの1点に集約されていくのです。
やおら起き上がりあらためてプリントした。

平等院阿弥陀如来坐像のこの写真だけは私にとって特別です。
撮影してから40年の時間が経過しましたが、どの時代のどの作品と比較しようが、決然と屹立しています。

このお顔に出会えたことそして撮影出来たことは私の写真家人生でも奇跡の一瞬でした。本当にありがたいことだと感謝しています。


2025/08/15

火の儀式

人は「火」を見ると何を感じるのだろう。

各地に残る火の儀式を考えると、太陽を連想するのが自然の流れで、太陽は生命の源であり、また、破壊の象徴でもあろう。

太陽信仰、祖先崇拝、汚れを祓う浄化などの諸説あるけれど、私は写真家なので、それよりも体験からみちびきだされる個人的、具体的な感想の方が重要です。

私にとって最も大切なのは現場です。

現場から瞬間という時間概念を外して大きく見渡したのが大地でしょう。現場にしても大地にしてもとにかくその場に居なければ写真にならない。その場に居ることによって感じる一言で言えば「生々しさ」を美しく撮りたいのです。

「火」でもおなじこと。
熱さ、燃える音、時には怒号、焦げた臭い、儀式の場合であればクライマックスがある。しかし、クライマックスは一つ一つの場面にも存在し、どちらかというと外れたちょっとした瞬間に心打たれます。


2025/08/13

火炎

火炎を見ると体がゾワゾワする。

理屈じゃない。

考えたから体が反応したわけではない。見た瞬間にもう落ち着かないのだ。この感覚を、言葉で伝える力は私には無いけど、写真なら近づけるかもしれない。

火炎のせいで、身体の内側から湧き起こる力を、写真を見た人と共有出来たらなあと思う。


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