花器に活けた花が枯れていく過程を見つめていると、美しいと思うタイミングが興味深い。私が感じたことは、認識から始まるのではなく、美はなんとなく始まっていく。
咲いている時よりも、こうして枯れた時の方が一つずつの個性が現れているように思ってしまう。時間の経過が個体にとって必要なものだけを残すからだろうか。洗練とはなんだろう。
目白のギャラリーで美しいガラスを見つけた。 荒川尚也さんの作品だと教えられた。 この時は荒川さんを知らなくて、美しいフォルムと透き透った水のような質感に惹かれた。 このガラスを見た瞬間に、私が大切にしてる枯れたラナンキュラスと出会わせてみたいと思った。
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