2009/07/23

近況

前回の書き込みから、ずいぶん日にちが過ぎてしまいました。

蓼科、大阪とロケが続き、その間にも対談、講演、大学の授業と休みなしで動いていました。
何よりも、少しでも余裕があれば、9/5日から始まる個展のための撮影に時間を使いたかったのですが、それもままならず、どうなりますか。

ちょっと他人事みたいに聞こえたかもしれませんが、とんでもないです。寝ても覚めても、写真のことばかり考えています。
以前、「フレーム」というタイトルで、次の展覧会にふさわしい写真フレームについてささやかな感想を書きました。
現在も、今撮っている写真にふさわしいフレームをずっと探し続けているのです。

京都の「三角屋」さんから、江戸時代の栗の柱材で作ったフレームが送られてきて、暇を見つけてはそれを必死で磨いた結果、僕のイメージどおりの質感が出来たのですが、写真を嵌めてみたら、・・・なんだか違うのです。
どう言ったらいいのかわかりませんが、あまりに材が主張して、フレームが物質的になってしまい、肝心の写真が一枚の紙になってしまうのです。写真は印画紙なんだから、紙で当たり前と思われるでしょうが、そうではなくて、僕としては、作品を目の当たりにしたら、当然ながら写真の中身、表現してる世界に気持ちが飛び込みたいわけです。
フレームひとつ取り上げても、問題山積です。

以前も書きましたが、僕のデビュー作品は、首から上をフレームアウトした「首なし写真」だったので、いつか、あのときに見失った首から上、つまり「顔」を撮ってみたいと思い続けてきました。それからいつの間にか38年という時間が過ぎてしまいましたが、最近になって、猛烈に「顔」を撮りたくなったのです。今までも「顔」にこだわっていましたが、「首なし写真」にふさわしい「顔」を発見できないでいました。ところが、ついに見つけました。あの時見失った「顔」を38年ぶりに見つけ出しました。見つけたその「顔」は表情がないのです。だからといってもちろん死んでるわけではありません。表情がないくせに一言で言えない複雑な「顔」をしているのです。

写真というのは、一瞬をとらえる芸術として成立してきた歴史があります。
人の顔を例に挙げると、一瞬の表情をつかまえる醍醐味に、写真家は拘束されてきたように思います。最近、僕は一瞬という時間から自由になってもいいのでは、と思っています。言ってみれば、「決定的瞬間」からの決別です。
一瞬は具体的ですが、切り取らない時間は抽象的に見えます。僕が今撮っている「顔」は、輪郭だけが残って、そのうち消えて無くなる予感がします。今のうちに残しておきたいのです。

「顔」や「写真」に興味がある方は、9/5日から開催する僕の写真展「FACES」に、ぜひ来ていただきたいです。

 

2009/07/11

大坂屋与兵衛

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またまた京都に関係した話が続きます。

先日、鎌倉の古書店「公文堂書店」にて、偶然おもしろい本を手に入れました。
宇高随生さんが書かれた『写真事始め』です。奥付を見ると初版は1979年ですからそれほど古い本ではありません。
発行は京都の柳原書店です。
幕末に京都で活躍した写真師大坂屋与兵衛に関する記述が大半で、これがとても興味深いのです。

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2009/07/04

半夏生(はんげしょう)

半夏生という植物をご存知だろうか?
ドクダミ科の多年草で穂状の花序をつくり、先端に小さな花をつける。
花序に近い葉だけ、つまり、茎の上部に付いている葉だけが今の時期だけ真っ白に変わる。
しかも、葉の片側だけ白くなることから「半化粧」の字をあてることもあり、「カタシログサ」とも呼ばれる。
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先日京都へ行った折に、昼の時間を利用して建仁寺塔頭のひとつである両足院へ行った。寺の庭に半夏生が群生していると聞いて見たくなったのです。
その日の両足院は法事とかで、午前中は閉門していたために、花見小路で昼食を済ませてから午後一時過ぎに再び寺に向かった。降り続いていた雨も止み、幸いにも訪れる人は少ない。門を入ると池泉回遊式庭園の池の周囲を囲むように、半夏生は群生していた。

まじりっけのないきれいな緑色のかたまりの上部だけが、真っ白に見える。遠くから眺めると、そこだけ純白の雪が降り積もったように、清々しい。近づくと、葉の茎に近い部分だけ白糖をかけたように白く見える。時折落ちてくる薄日の光が白い葉の表面に溶けて本当にきれいだなあと思った。いつまでも見飽きない。なぜこんなにも僕の心をとらえて離さないのだろう。しばらく眺めているうちに、好きな理由がわかった。「鈴木」さんのせいだ。半夏生が群生している根元を、音もたてずに青大将の「鈴木」さんが滑るように進んでいく姿を想像していたのです。
僕のイメージは勝手に膨らんで、先月、「鈴木」さんが姿を消した家の庭のどくだみの群れは、半夏生に変わり、白く化粧した葉の間から、濡れたような光を発する青大将が見え隠れしている。
さらに想像は広がって、僕は雨上がりの早朝、8×10インチのカメラを持ち出し、真っ白な半夏生が群生する緑色の陰で、静かに輝く「鈴木」さんを撮っているのだ。

実は昨日、鎌倉の津田造園さんに電話をしました。
僕の想像を実現させたいのです。
我が家の庭のどくだみを半夏生に植え替える決心をしました。
早速来週、津田さんが見本の半夏生を持って来てくれることになったのです。もしかしたら、来年の今頃は、半夏生と一緒に「鈴木」さんが写っている写真をこの場で見せられるかもしれません。

・・・運がよければですが。

 

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