2021/05/09
ふたたび翳(2)
私は記憶を映像の場面として憶えているものが多い。記憶を一つの象徴にまとめないで、どちらかというと出来事との結びつきをゆるめながら、場面の細部にズームアップするのです。
私は記憶を映像の場面として憶えているものが多い。記憶を一つの象徴にまとめないで、どちらかというと出来事との結びつきをゆるめながら、場面の細部にズームアップするのです。
2006年に私家版写真集『ふたたび翳』を刊行しました。記憶のディテールを写真に置き換えられないかと試みたのです。撮影は殆どが2005年で35mmカメラのスナップです。
私家版で発行部数も少なかったので、一般には殆ど目にする機会はありませんでした。
コロナが収まったら自身のギャラリーで未発表作を中心に展示しようと計画していたのですが、いっこうに終息しないので、この場を借りて少しずつアップしていこうと思います。
写真に対する私の一つの方向性がよく現れているのではないかと思っています。
高野山奥の院にある鈴木大拙博士、奥様ベアトリスさんの墓石五輪の塔。真言密教のエンターテイメントな要素に否定的だった禅の博士も、高野山に惹かれたベアトリスさんの希望に従ったのかな。
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