水上勉さんと『蘭の舟』
『蘭の舟』のための写真を撮り終わり、当時、光村印刷のプリンティングディレクターだった森谷忠義さんに、印刷方法の相談をしました。人物のポートレートは全てブローニーサイズのモノクロフィルムで撮りました。そのモノクロのトーンが重要だということになり、グレーと墨版以外に、もう1版、ニス版を重ねることになったのです。時間の堆積を感じさせる色や深みを感じるにはどうしたらいいか、テストを重ねた結果の答えでした。オフセットで刷ったカラーの風景分も含め、その校正刷りを持って、世田谷区成城にあった水上勉さんの家を訪ねたのです。1979年のことだったと思います。
アポイントは冬樹社の編集者だった荻原富雄さんが連絡してくれました。成城の駅へ着いてから、駅前の公衆電話を使って荻原さんが電話をかけていたのを覚えています。
僕は、当時、港区の日赤通りに住んでいましたから、日赤通り商店街にある花屋さんで、あらかじめ注文していた「水仙の花」を求め、腕いっぱい抱えていきました。水上さんといえば、越前の風土と切り離せないので、水仙の花が一番ふさわしいと思っていたのです。
先生にお目にかかったらどんなふうに話を切り出そうか想像して、少し緊張気味だったと思いますが、行く途中のことはまったく記憶にありません。ただ、電車に乗っている間、水仙の花芯から漂って来る甘い香りを覚えています。
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