「おや、撮らないのか」
二日続けて真木大堂へ行った。 前日は撮影しようとしたら突然サッと雨が降ってきた。濡れた白仏は暗くなってしまうので、乾燥するまで待たなければならない。 元々は山岳信仰の場所だった国東半島に、平安時代頃に天台宗…
道筋
カメラを携えてはるばる国東半島まで来たものの、昔のようには脚も効かず、眼もよく見えない。写真家にとってピントの行方もおぼつかないとなると、残されたのはあと何年か。 自分が辿ってきた道筋は、はたして良かった…
橋
まだ暗いうちにホテルを出発して宇佐神宮の呉橋へ向かった。 神域への入り口であるが、この橋を渡った先には弥勒寺があったという。現在は礎石が残るのみで建屋はない。 橋を渡るというのは、こちらの岸から向こう岸まで…
日本的美意識とは
歳をかさねてもまだ写真を撮っているのだからね、本当に心動いたモノだけを撮りたいと思います。 日本的美意識とは何か問われると、すぐ頭に浮かぶのは「わび・さび」ですが、侘びを美の概念としてまとめたのは室町時代…
写らないものを写真の対象として引き寄せる
写真家としてデビューしたのは1971年だから今年で54年間私は写真を撮ってきたことになる。 当時を思い出そうとしてもディテールはどんどん不確かになっている。ただ確かなことは「特別な場所へ行き、ドラマティックな風景を写…
仏の顔は一つじゃない
仏の顔は一つじゃない。 時が経って目鼻がすり減りあるいは欠損して白くなったお顔は、表情を失った分だけいかようにも見えてくる。少し怒っているようにも微笑んでいるようにも、知人の誰々のおもかげさえ浮かんでくる…
伊勢神宮の宇治橋
伊勢神宮の宇治橋を撮影したくなった。 伊勢神宮は今回が初めてではない。 かつて、山岳少数民族ヤオ族の始祖神話が記された「ギェセンポン」を見つけ出し翻訳に苦慮している真っ最中、『art Japanesque』日本の美と文化 […]…
白仏
路傍の白い石仏を撮り始めて10年以上になる。 伊勢神宮の宇治橋を撮影した途次、朝熊岳の金剛證寺奥之院にお詣りしたところ、横に石仏群があり、内の1体にとても心惹かれた。 大切に守られた地蔵たちから少し離れた場所だ。 …
見えないものへの接近
距離が遠くなると見えない。 過ぎ去った過去は見えない。 当然ながらこれから訪れる未来は見えない。 物体が移動するにあたって一定の速度以上になると見えない。 遮蔽物の背後は見えない。 極小、極大なものは見えない。 音…
「偶然」の概念はない
上から順に。 新年に舞う儀礼。 病気治療のための儀礼。 婚姻の際に行う鶏の骨から吉凶を見る卜占。 病を得た人を渡らせる橋。 クワタン(通過儀礼)の前にシップミエントン(設鬼小、設鬼の助手)に力を注ぐ設鬼。 トウサイ(段階 […]…
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