おもかげは
具体的なテーマがあるわけでなく、強いて言えば心の奥底に沈んでいるぼんやりした記憶がきっかけなのかもしれない。 おもかげは人だけに限って残されているのではなく、街角や風景や岩にだって漂ってくる。懐かしさの中…
火に対する畏れ
ヒトが地球上に出現した当初から、火に対する畏れは生まれていただろう。 生命を繋いでいくために火と水はどうしても欠かせない。 原初の畏怖心は具体的な現れとしては変化しただろうが、火に対する根本的な尊厳は現代に…
「火炎」の撮影
先程、「火炎」の撮影から戻る。 火もまた水と同じく定まった形がない。 その火により火力の強さ加減で明るさも一定ではないのだ。したがって火の実体に写真的に迫ろうとすると、かなり難度が高い。経験により、瞬時にカ…
阿弥陀如来坐像
今朝目が覚めてまだ横になりながら記憶を遡っていた。 この50年間に数多くの仏像を撮影させていただきましたが、仏像となると必ずこの1点に集約されていくのです。 やおら起き上がりあらためてプリントした。 平等院阿弥陀如…
火の儀式
人は「火」を見ると何を感じるのだろう。 各地に残る火の儀式を考えると、太陽を連想するのが自然の流れで、太陽は生命の源であり、また、破壊の象徴でもあろう。 太陽信仰、祖先崇拝、汚れを祓う浄化などの諸説あるけれ…
火炎
火炎を見ると体がゾワゾワする。 理屈じゃない。 考えたから体が反応したわけではない。見た瞬間にもう落ち着かないのだ。この感覚を、言葉で伝える力は私には無いけど、写真なら近づけるかもしれない。 火炎のせいで、身…
象徴としての橋
神域へ踏み入る象徴としての橋。 繋ぐための機能を放棄された橋。 どちらも私には興味深い。 初めは異界に飛翔する橋を探していたが、捨てられた橋も目につくようになった。 人は人の都合で橋をかけ、渡った人の数だけ想い…
「おや、撮らないのか」
二日続けて真木大堂へ行った。 前日は撮影しようとしたら突然サッと雨が降ってきた。濡れた白仏は暗くなってしまうので、乾燥するまで待たなければならない。 元々は山岳信仰の場所だった国東半島に、平安時代頃に天台宗…
道筋
カメラを携えてはるばる国東半島まで来たものの、昔のようには脚も効かず、眼もよく見えない。写真家にとってピントの行方もおぼつかないとなると、残されたのはあと何年か。 自分が辿ってきた道筋は、はたして良かった…
橋
まだ暗いうちにホテルを出発して宇佐神宮の呉橋へ向かった。 神域への入り口であるが、この橋を渡った先には弥勒寺があったという。現在は礎石が残るのみで建屋はない。 橋を渡るというのは、こちらの岸から向こう岸まで…
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