2025/08/26
火に対する畏れ
ヒトが地球上に出現した当初から、火に対する畏れは生まれていただろう。
生命を繋いでいくために火と水はどうしても欠かせない。
原初の畏怖心は具体的な現れとしては変化しただろうが、火に対する根本的な尊厳は現代に於いても変わらない。だからこそ燃える火炎に対しても負けじと人間は熱量を注ぎ続ける。
ヒトが地球上に出現した当初から、火に対する畏れは生まれていただろう。
生命を繋いでいくために火と水はどうしても欠かせない。
原初の畏怖心は具体的な現れとしては変化しただろうが、火に対する根本的な尊厳は現代に於いても変わらない。だからこそ燃える火炎に対しても負けじと人間は熱量を注ぎ続ける。
先程、「火炎」の撮影から戻る。
火もまた水と同じく定まった形がない。
その火により火力の強さ加減で明るさも一定ではないのだ。したがって火の実体に写真的に迫ろうとすると、かなり難度が高い。経験により、瞬時にカメラ側の条件を変えなければならない。
環境を含めず、限りなく火そのものに近づいてみたいと思った。
火は見えない。
だからこそ見なければならない。
今朝目が覚めてまだ横になりながら記憶を遡っていた。
この50年間に数多くの仏像を撮影させていただきましたが、仏像となると必ずこの1点に集約されていくのです。
やおら起き上がりあらためてプリントした。
平等院阿弥陀如来坐像のこの写真だけは私にとって特別です。
撮影してから40年の時間が経過しましたが、どの時代のどの作品と比較しようが、決然と屹立しています。
このお顔に出会えたことそして撮影出来たことは私の写真家人生でも奇跡の一瞬でした。本当にありがたいことだと感謝しています。
Recent Comments