2013/08/13

ニセフォール・ニエプス(2)

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ニエプスが「エリオグラフィー」を撮影した場所は、研究室にしてた建屋の2階窓から写したことがわかったのですが、該当する窓を特定できないでいました。
1820年代と現在では、周囲の環境も変わっています。当時は庭であった場所の一部に自動車道路が通り、植生ももちろん変化しています。失われたものも多く、残っていたとしても、190年以上の時の経過ですっかり様変わりして、ニエプスが撮影した場所を決めるのは難しかったと思います。
残された写真や建物の図面をコンピューターに入れて解析すると、一つの窓が候補に上がりました。しかし、その窓から見える屋根の角度がどうしても写真と一致しません。
詳しく検討していくうちに、ニエプスが撮影した当時は、窓が70cm右へズレていたことが判明しました。

冒頭の写真はニエプスが最初に撮影した窓です。
「カメラオブスキュラ」を設置して、当時を再現していました。

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僕が興味深く見たのは、「エリオグラフィー」で撮影した窓があるフロアーをさらに奥へ進むと階段があり、登った所が広い屋根裏部屋になっていました。
頭上は剥き出しの梁に足元は分厚い板の床です。文字通りの屋根裏がニエプスとダゲール二人の研究室だったとは、感慨深いものがありました。
19世紀に発明されたものの中でも「写真」は革命的と言ってもいいほど、人々の生活や文明社会に大きな影響を及ぼしました。印刷の発明、交通機関の発達と伴い、新しい芸術表現手段に止まらず、政治にも大きく利用され、世界的規模で一気に普及していきました。今で言えばノーベル賞ものだと思われる大発見も、パリから350km離れた窓の少ない、薄暗い屋根裏部屋から生まれたのです。

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2013/08/11

ニセフォール・ニエプス(1)

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8/10、Chalon-sur-Saône に行った。
シャロン シュル ソーヌ といっても、何だかわからないのは当然です。
今回フランスに来て、どうしても行きたかった場所でした。

写真を発明したのは、1839年、フランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールですが、実際には1824年9月にニセフォール・ニエプスが、世界で最初の写真撮影に成功していました。

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ニエプスの生まれ故郷がシャロン シュル ソーヌ で、ニエプスが撮影したまさにその現場が、現在も残されているのです。
何処からどんな風に撮ったのか、現場に行って僕も彼が撮った風景を見てみたいと思ったのです。

パリ在住の僕の友人、市田Kyoさんの運転で、午前7時にパリを出発。ニエプス記念館に到着したのは11時を過ぎていました。距離にするとパリから320k強です。

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2013/08/09

ちょっとだけ撮影してみる

Abbaye de Saint-Germain-des-Pres

8/8日、10時すぎにアパートの部屋を出る。

8/2日にパリに戻ってからずっと部屋にこもってた。体調が悪いから仕方ないといえばそうなんですけど。
日にちがどんどん過ぎて行く、あっという間に6日間過ぎてしまった。
その間何をしたかというと、何もしてない。
一日だけサン・ジェルマン・デ・プレまで行ってすぐに引っ返した。昨日は恐る恐る外出してすぐに戻った。

昨日、薬局へ行ってうがい薬を購入。日本から持参した抗生物質の薬を飲む(どうしても、の時用で、ギリギリまで飲みたくなかった)。多分、これで6時間は歩ける。

再び、サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ行く。
前回来た時は日曜日だったためにミサがあり、撮影を控えた。
教会内にどうしても撮りたい石像があったのです。
多分マリア像ではないかと思ったが、像の名前や詳しい由来を知らない。しかし、その美しさに足が止まった。
白い大理石で出来てる胴体の半分以上は欠損し、顔も右半分近くは欠けて無くなっている。
しかし、残ったお顔だけでも充分です。いや、半分だからこそなおさら美しく感じられる。ただ見つめているだけで、キリスト教徒でない僕にも、崇高な美の洗礼を浴びることが出来る。堂内の別な場所に落ちてる光の反射と、蠟燭の炎だけが石像を闇から救っている。
石柱に身体をピッタリつけて、シャッタースピード1秒、開放F2,8で切る。

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