「稲づまや浪もてゆへる秋津しま」

芳賀徹著『與謝蕪村の小さな世界』

このところ毎朝、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを観るたびに憂鬱な気分になる。先年の世界大戦から我々は何を教訓として学んだのだろう?いつの時代になれば武力制圧は愚かな過ちだと気付くのか。

今朝も病院の駐車場で人を待つ間、1冊の本を読み返した。芳賀徹著『与謝蕪村の小さな世界』(原題の与謝は旧字。目が悪くなり、携帯では文字を探せない)を開いていたら、次の句が眼にとまった。

「稲づまや浪もてゆへる秋津しま」

「秋津しま」と言えば、神武天皇蜻蛉の例を持ち出すまでもなく、国見の神話以来日本国名のことだ。
私が注目したのは(芳賀徹さんの著述を読んでですが)、「浪もてゆへる」の言葉です。
小さな日本列島が、島辺に打ち寄せる白波によってかろうじて繋ぎ止められている。その頼りなさ、心細さが一瞬の稲妻の閃光で浮かび上がった。その存在の頼りなさを句にした、そう解釈出来る。

解釈は人によるかもしれないが、蕪村の立ち位置視点は地平レベルでなく俯瞰からの想いだろう。
江戸時代、18世紀の日本で、イメージの中ではあるが高空から日本列島を見たような、超俯瞰を言葉に置き換えたニンゲンがいたことに嬉しくなる。

存在のおぼつかなさは時代を超えて、政治や経済の事情を超えて、いつの世も続いているんだと自覚しなければいけないんだよ、今こそね。


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