2022/09/02

「マカロニサラダ/雑誌anan/1971年」

マカロニサラダ/雑誌anan/1971年

1971年、雑誌『anan』編集者椎根典子さんから撮影の依頼があった。衣装は堀切ミロさん、モデルは山口小夜子さんだった。
小夜子さんと初めて会ったのは堀切ミロさんの事務所だったと思う。小夜子さんが21~22歳だったろう。典子さんから「とても雰囲気ある女性だよ」と聞いていた。
私がミロさんの事務所へ行くと小夜子さんはすでに部屋の隅で座っていた。静かな、というよりは寂しそうに見えた。会話も少なかったが、佇まいの奥に意思の強さを感じた。セーラー服のような衣装を着ていたせいか、年齢よりも若く見えた。

撮影場所は福島県郡山の農家に決めた。
原色の野菜や果物の絵を大胆に描いたミロさんのワンピースは、日本の農家にはしっくり合わないだろうと思ったからだ。
小夜子さんの静かな佇まい、ミロさんの現代的な衣装、日本の農家、この3要素がスパークして生まれる違和感に巻き込まれてみたかった。

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2022/08/29

“L’amour” Hikari AOKI avec Ron CARTER

L'amour Hikari AOKI avec Ron CARTER
L'amour Hikari AOKI avec Ron CARTER
L'amour Hikari AOKI avec Ron CARTER

5年前からジャケットの写真を撮影している青紀ひかりさんのライブに行く。東京丸の内にあるコットンクラブ。愛の歌を中心に濃密な90分でした。
アップした写真は前回のジャケット、お相手はロン・カーターさん。


2022/08/23

「Pink」

1971年6月、六本木交差点で当時雑誌『anan』編集者椎根和(しいね やまと)さんにバッタリ出会った。
『anan』以前の椎根さんは『平凡パンチ』編集者で、当雑誌のグラビアページを加納典明さんが撮影する際の担当編集者だった。私が六本木スタジオで働いている頃、加納さんに呼ばれて何度かお手伝いさせていただいたことがあり、その都度椎根さんにとてもお世話になっていた。

「今何してるの?」「何もしてないんです」「ananの写真撮る?見開き1点だけど」「やらせてください!」こんなやりとりがあった。
私は篠山紀信さんの助手仕事を辞めたばかりだった。将来のアテもなく、ひとまず即席ラーメン、焼きそばを大量に買い込み飢えを凌ぐ方法を考えていたところだったので、椎根さんからの話は渡りに舟だった。
「ひとつお願いがあります。最高のスタッフとやりたいのですが、、、」
多分、これが最初で最後の仕事になると思ったので、思い切って椎根さんに言った。写真家としてやっていくには精神力が弱いと自覚していた。
服は三宅一生さん、ヘアーメイクは伊藤五郎さん、スタイリストは木村シゲルさんの名前を出した。助手時代に経験した中で彼等は最高のセンス、技術をお持ちのプロフェッショナル達だと思っていた。
「うーん、面白いから頼んでみるけどやってもらえるかどうか」。
当たり前だよね、これからデビューする新人カメラマンの撮影に三宅一生、伊藤五郎、木村シゲルのスタッフを組むなんてとても考えられない。
ところがです、3人の方すべてOKの返事だったのです。しかも撮影当日全員現場に来てくださることになった。

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