道筋
カメラを携えてはるばる国東半島まで来たものの、昔のようには脚も効かず、眼もよく見えない。写真家にとってピントの行方もおぼつかないとなると、残されたのはあと何年か。
自分が辿ってきた道筋は、はたして良かったのかどうかわからない。正しかったかどうかよりも、今だにこうしてワクワクするのだから、悔いのない時間を過ごしているのは間違いないのだろう。
目の前に在る小さな石仏をジッと見つめていると、この像を依頼した者も、彫った仏師も今では誰もが土の中だ。生きている間は何をしたい、何になりたいなどとあれやこれや考えるけれど、時が経てば行き着く先は一緒のこと。
珍しくセンチメンタルな気分に浸れるのも、私には白仏に出会う楽しみの一つです。
出来得るならば、感傷的気分から詩を感じ取る感受性まで遠く翔ぶことが出来たらどんなに幸せだろうかと願ってしまう。