写真と珈琲のバラード(18)

次回刊行の写真集『常ならむ』に没頭しています。暗室でプリント作業の時間以外に、まえがき、作品個々の主題について、あとがき、などの文章、英文タイトル、表紙デザイン、編集構成、等を考慮実行してるうちに1日の時間がすっ飛んでいきます。主題に基づいた写真以外に、未発表スナップ写真を加えたくて、そのセレクト作業も時間かかっています。

以前にも書きましたが、暗室作業するための現像液の単薬、印画紙も年々手に入り難くなってる。それ以前に、そもそも写真を撮る環境が難しくなっています。どの地方へ行こうが、その土地の特色は失われ、どこもかしこも画一的な風景ばかり。人々は写真に対して警戒心も強くなり、容易なことでは入り込めない。盗撮したりする連中が後を絶たないから仕方ないことかもしれないけど、写真家にとっては受難の時代になったね。

受難は、写真が生まれた時から持っている宿命みたいなものです。うまく絵を描けない人がカメラオブスキュラを考え出し、オリジナルの価値とは異なるネガポジ複製を社会に浸透させ、カメラを小型化して何処にでも持ち運び出来、機械を高性能化して決定的瞬間を撮れるように考え、今はデジタルの時代になって専門的な撮影技術を必要としなくなり、映像を加工し、現実と仮想の区別もなくなりつつある。写真は時代の推移とともに変貌せざるを得ない表現なのです。今や写真で何かを表現することすら時代からズレつつある。そのような現代に、現実というものを丹念に見つめなければ見えない、言ってみれば微かな狭間みたいな事象にこだわって写真にするのだから、完成させるまでに時間がかかるのは覚悟の上。とはいえ、私に残された時間とを計りながら何処まで行けるのか、時折頭をもたげる絶望を叩き叩き、地道な作業を継続しています。

一つの作品を完成させるというのは骨の折れることです。


4 Responses to “写真と珈琲のバラード(18)”

  • 小谷良司 |

    現実と仮想の区別ができない日常が、こんなに早く訪れるとは、です。日々の通勤も、様変わりで、サラリーマンの生活にも、ズレが生じています。結構、肉体的にもきしみを感じます。だから、最近は以前より更に、本当の写真に、魅せられていきます。
    オリジナルプリントには、質感が宿りますが、手をかけていない複製、加工品からは、そこにあったものの質感が伝わらない。鎌倉に伺う度に、帰路の横須賀線で、感じています。
    次の作品、お待ちしております!

    • Bishin |

      ありがとうございます。気持ちが引き締まります。連日暗室に籠って紙焼き、4月にはオリジナルプリントを展示出来ると思います。ぜひご覧ください。

  • 猪俣 肇 |

    記事にある「微かな狭間みたいな事象にこだわる」という、写真の本質を大事にしている写真って、とても少ないなと、ここ数年感じています。先生の作品は、その本質を大事にされていることがよくわかります。どんな作品を拝見できるのか、夫婦で楽しみにしています!

    • Bishin |

      暗室作業の点数が多いので時間がかかっています。60代で到達した写真の面白さを多くの人々に伝わるといいのですが。もうちょっとで完成です。

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