写真と珈琲のバラード(16)

年が明けて、北陸を中心に大寒波襲来との予報を聞き、佐渡へ向かいました。次回刊行の写真集『常ならむ』に、スナップを入れたいのです。

昨年暮れは青森、秋田を主とした東北の地を歩きました。私の記憶の中の何か、がムズムズと動きます。記憶というのは厄介なもので、覚えているさまざまなことが、事実かどうか不確かになってきてる。心の中で何度も反復しているうちに、いつの間にか、こうありたいと願うような方向に傾いている。記憶の中に現れる世界が茫漠として、今にも消えてしまう気がします。かつて出会い目にした事柄を今のうちに記録しておきたいのです。記録したいのは、事実そのものではなく、記憶の中の事柄から、出会ったその時に生じた「心もよう」を写真にしておきたいのです。「心もよう」なんて写真に写るの?と思われるかもしれませんが、写真を撮り始めてから今までずっと試みてきました。決定的な凄い出来事ではなく、普段目にしてる日常的な何でもない風景や人、そこらへんに見える暮らしの断片を丹念に見ることで生じた想い、を写真に撮ってみたいのです。

私が子供の頃の冬は、今よりも寒かった。アカギレた手の甲に息を吹きかけ、吹きかけ、霜柱を踏みながら学校へ向かう坂道を歩いた。北風が吹きまくり、頬に当たる雪粒や雹が冷たく、痛かった。その頃の冬の風は今はもう都会では出会うことはない。気温や計測された風の強さとはまた別の世界の出来事。

子供の頃に歩いた坂道を写真に撮ってみたい。子供の頃に走った土手を撮ってみたい。子供の頃の記憶に入り込んで、色や匂いや笑った出来事、恐ろしかった知らない土地の風を写真に撮ってみたい。まだ体力があるうちに、私自身が私の頭の中に入り込んで、見えてきた色々にレンズを向けたいのです。


3 Responses to “写真と珈琲のバラード(16)”

  • 小谷良司 |

    あけましておめでとうございます。
    この章を、拝読し、一気に記憶が、読み還りました。
    まだ、東西線もない頃、門前仲町から東京駅に都電で。
    そこから丸ノ内線で茗荷谷、霜柱の立つ通学路を踏みしめ、
    仮説のバラック教室に着けば、だるまストーブ。
    そのストーブに、校庭の隅のコークス置き場から、
    黒い楕円のバケツにコークスをシャベルで組み上げててきて、燃料補給。
    すべて半ズボンでした!
    ももが、アカギレていましたね。

    その断片は、確かに、まだ点在していますね。

    僕も撮りたいと思います。

  • 小谷良司 |

    あけましておめでとうございます。
    この章を、拝読し、一気に記憶が、蘇りました。
    まだ、東西線もない頃、門前仲町から東京駅に都電で。
    そこから丸ノ内線で茗荷谷、霜柱の立つ通学路を踏みしめ、
    仮説のバラック教室に着けば、だるまストーブ。
    そのストーブに、校庭の隅のコークス置き場から、
    黒い楕円のバケツにコークスをシャベルで汲み上げてきて、燃料補給。
    すべて半ズボンでした!
    ももが、アカギレていましたね。

    その断片は、確かに、まだ点在していますね。

    僕も撮りたいと思います。
    なにか、リアルにつながっていた時代の感覚を、
    確認したいですね。
    その場凌ぎじゃなかった生活ってことでしょうか?

  • k.tamura |

     「心もよう」うつります、写してください。  
    子供の頃の冬は・・・に始まる文を読みバラード(14)に戻しました。昼を回った明るい日のさす道なのに、奥へ進むのが、とても怖かったです。そこに音は無かったからです。記憶するあの場所ではないのだが、同化してしまう、薄い紙の一片から、どれほどの力が放たれているのでしょうか。「常ならむ」を楽しみにお待ちしています。鎌倉にいらしても羽村でも地震の恐ろしさは同じですね。お庭の梅が微笑んでも、寒さはまだまだあるでしょう。ご自愛ください。

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