おいしいコーヒー

つい今しがた、多摩美術大学の授業から戻ったところ。
前回のブログの最後の文章は、カフェでお茶を飲んだところで終わりました。

カフェの話しが出たので、告白しますが(告白とは大げさですけど)、実は僕は今、おいしいコーヒーを入れられる(煎れられる)ようになりたいと努力の真っ最中です。

おいしいコーヒーとは、どんな味や、香りだろう、と四六時中考えています。
おいしいコーヒーを飲みたいというよりは、現時点での気持ちをもっと正確に言うと、まずいコーヒーは飲みたくない、のほうが正しい表現かもしれません。


つい最近まで、僕はコーヒーをあまり飲みませんでした。コーヒーを飲んでも、それほどおいしいと思えなかったからです。それが俄然、コーヒーを飲み始めました。きっかけは、1ヶ月ほど前に、自分が入れたコーヒーがあまりに、あまりに、まずかったからです。言語同断ぐらいまずかったです。話しにならん、ほどです。考えたら、今まで自分でコーヒーを入れた経験がなかったから、まずいのは無理ないのです。いつも僕以外の誰かが入れてくれてました。それが一念発起して、突然自分でやってみたのです。その結果、一口飲んだら、「何じゃこりゃ」と思ったのです。これはコーヒーじゃないぞ、色が似てるだけで、コーヒーとはまったく異質な飲み物だ。どうにかならんのか、もっと旨いコーヒーを飲みたいと切実に思いました。

それで行動を起こしたのです。まず、コーヒーメーカーに連絡をとり、家に来てもらって、コーヒーに対するレクチャーを受けました。コーヒーといっても、ドリップからエスプレッソ、ミルクを使うものなど、それこそ多種多様にありますが、ひととおり話しを聞いて思ったのは、まず、僕はドリップから始めたい、そして近い将来、その技術を自分のものにしたい欲望が出てきたのです。そこで、初めにコーヒーに関する文献をあたってみました。そうしたら、いますねえ、コーヒーに命をかけた先輩たちが、ゴロゴロいるではないですか。それぞれの人がそれぞれのやり方で、おいしいコーヒーについて語っています。その言説のどれもが正しいことでしょう。味覚や嗜好は人それぞれですから。


多分、世界中どこを探しても、日本人ほどコーヒーの味にこだわる人種はいないのではないかしら。
何しろ、茶を喫するという至極単純な行為を、ひとつの形而上学的な高みにまで、枯れた美意識にまで高めてしまう国民なのですから。

豆の種類、焙煎の度合い、新鮮度、豆の挽き方、ペーパーかネルか、湯の温度、注ぎの技術・・・、一息では言い切れないほど、おいしいコーヒーを入れるための要素が存在します。

僕の体の内にも、コーヒーの微妙な味の違いを感じ取れる繊細な神経や感性があるはずです。
めげずに、自分なりの答えが出るまで、探求努力してみます。そして、自分で納得がいくようになったら、この場で順次報告しつつ、なんらかのかたちでみなさんに披露したいと思います。
 

 

6 Responses to “おいしいコーヒー”

  • まんみ |

    十文字鍋には、いつも感嘆していますが、
    今度はコーヒー!とは!!!
    楽しみにしております。

  • 徐麗 |

    コーヒーはお茶と同じ、芸術と思います!
    ヤミツキな香りと味から逃げられません。。。
    イタリアーノエスプレッソラブです。(笑)
    先生のコーヒー「アート」、楽しみにしてます。

  • おおいし |

    ご無沙汰しています。
    ブログいつも楽しく読ませていただいてます。

    コーヒーの話題、自分にもちょっとタイムリーだったので、コメント入れさせていただきました。

    秋谷にほど近い子安の里にある、関根不動尊の湧き水をご存知でしょうか?
    先日、その湧き水を汲み帰り、コーヒーを入れてみました。
    旨い、まずいは別にして、香り、コク、味、水によって、ここまで変わってしまうのか、と関心させられました。

    その水で入れたコーヒーを飲みながら、今まで飲んだコーヒーで、一番おいしかったコーヒーを思い出していました。
    それは、18年程前、乗鞍スカイラインに車の撮影に行って、宿泊していた乗鞍岳のふもとのペンションで出してくれたコーヒー。

    雲海をバックに合成無しの一発撮りだったので、毎日雲海の出まち。
    ペンションから乗鞍スカイラインの撮影ポイントまでは、1時間以上。
    毎朝、夜明け前に宿を出て、明け方の雲海を待つ。出なければ撤収。

    宿に戻ると、おかみさん(ペンションだからペアレンツって言うんですか)がコーヒーを入れてくれました。とてもおいしかった。
    あまりにもおいしいので、おかみさんに「このコーヒーどこで売ってる?」と聞くと、町のスーパーとの答え。しかも大手ブランドの挽き売りの物。どこでも簡単に手に入る物でした。

    「ウチは裏山の湧き水を使ってるからね」の一言。

    たしかに、その前の晩のキノコ鍋もそうとう旨かった。

    なかなか雲海がでなくて、一週間程そのペンションに滞在(昔はよかったな〜)。撮影出来なくて下山するのも、気が重いはずなのに、これでまたあのコーヒーが飲めるって、心の隅で少し喜んだりしていました。

    味の記憶、においの記憶って、何かのきっかけで、その時の状況まで爆発的に鮮明によみがえりますね。不思議です。

    子安の里の湧き水。是非一度試してみて下さい。

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