完成された肉体の枠を外すことによって得られる思考の自由
タイトルが長くなってしまいました。
今撮影してる作品のテーマ「残欠」を説明しようとしたら
「完成された肉体の枠を外すことによって得られる思考の自由」
になってしまいました。
昨年から取り組んでいる作品は、一見すると不完全な物体です。
一度完成されたものが、時間、風雪によって欠損、欠落した状態を撮っています。
完成させるというのは、そのものの在り方を決める作業でもあります。
完成させないで途中で作ることを中止するのは「未完成」で、これは中途半端な状態でどうも生ぬるい。やはり完成したものが時間と風雪によって変貌している現場が僕には魅力的です。
どんなに完結したものであっても、そこに存在する限り同じ状態で在り続けることは不可能です。
完結した物体は時間と風雪でゆるやかに変貌していきます。完結し、変貌し続けるものをさらに解体することで姿を現すもの、それは何だろう?と考えていました。
今はパリの6区にあるアパートの一部屋にいます。
一人でとりとめもなく写真について考えています。
僕がデビュー以来ずっと写真で捕らえようとしているものは「自由」なのかもな、と思います。
特に「思考の自由」です。
こちらへ出発するために日本でやっておかなくてはならないことが山ほどありました。
そのために今は疲れてクタクタです。
まったく知らない場所に一人で居る気がしています。
何かについて時間かけて考えるには、今の環境がふさわしい。
これから何回か、パリのアパートから発信します。