頭の中(2)

今朝は糸のように細い雨が降っています。

毎朝必ず決まってすることがあります。前日焙煎した珈琲を淹れて試飲します。時には4杯ぐらいたて続けに飲むことになりますが、今朝は「ブラジル」と「ブレンド」でした。現在の焙煎は理想の域に達しています。もちろん自分にとっての理想です。
思ったように焙煎して、思ったような香り、味が実現できた喜びは、なんとも言えません。それを毎朝体験してるわけですから、幸せなんだろうなと思います。こんな日常の些細な幸せが大切だと思います。

このところ、数日間撮影に没頭していました。

突然新しいテーマが起き上がってきたので、それを確かめずにはいられません。
僕にとって写真はなくてならないものです。
何でそれほど写真が面白いかというと、写真には必ず被写体が存在してるからです。
そして目の前にある被写体の表層を見つめていると、自分のイメージと深く関われるからです。
被写体は本来僕とは無関係に存在しています。無関係ということにとても惹かれます。
自分のイメージから出発して物事を考え始めると、自分のイメージを超えることは難しい。あくまでも自分の世界の中での出来事になってしまいます。

最近よく「つながる」という言葉を見たり聞いたりしますが、人やモノは本来個別に在るべきで、個別に在るからこそ「つながる」という欲望も湧いてくるのでしょう。
「つながる」以前に個々の個性や特徴を知るべきです。個をあらためて認識すれば「つながる」きっかけや、つながりたい必然性も見つかるし、強固な関係だって築けると思います。

写真を撮るというのは、その行為を通して、僕と関係なく存在していた被写体と何らかの関係が出来ます。
いつも感じることは、被写体は僕のイメージを超えてそこに在る、ということです。
最近ずっと撮っている「神殿」にしても、今突然起き上がってきた新しいテーマにしても(まだタイトルは決めていません)、被写体は最初から僕のイメージを超えて在るのです。

特に今こだわっている「時間」というのは、本来目に見えないものです。目に見えないけれど、確実に存在しています。「時間」は美しいですよね。どんなに人が頑張っても、「時間」が作り出す変化にはかないません。時間が作り出す変化に作為はないからです。「時間」を実感した時は、いつも自分の矮小さと無力さに打ちのめされますが、だからこそ、フツフツとその美しさと関係したくなるのです。

写真が持っている魅力は、肉眼では見えない被写体の表層に導いてくれることです。
被写体の表層を深く見つめていると、僕のイメージは表層に問いかけられてしまいます。

僕の念願は、今よりもっともっと正確に被写体の表層に近づきたいのです。
そのために写真は最もふさわしい方法だと確信しています。

 

 

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