2022/09/11

「カジキマグロ/松下電器ストロボ雑誌広告/1973年」

カジキマグロ/松下電器ストロボ雑誌広告/1973年

1973年、松下電器携帯ストロボ雑誌広告シリーズの一つ。ダイバーがヒレに捕まったまま、カジキマグロが水中から飛び上がった瞬間を撮ろうと考えた。

撮影の手順にヒントがあります。
まず初めに画面左フレーム外の堤防から人がジャンプして飛び降りる。次に、先に飛び込んだ人の水しぶきが上がるタイミングに合わせて、カジキマグロを抱いたダイバーが飛び降りる。
カジキマグロが着水する寸前、まだ空中にある状態でストロボを閃光させるのだ。

水しぶきがあるために、カジキマグロとダイバーは水中から飛び上がったように錯覚する。
この頃は、錯覚、はっきり見えない、出会い頭、曖昧などにとても興味があった。それも完璧ではかえってつまらない。その興味は50年経た現在も続いてる。

後方に浮かぶ漁船は撮影の時偶然現れた。

AD・D東澤雅春、C松岡英輔


2022/09/11

「ボクシング/松下電器ストロボ雑誌広告/1974年」

ボクシング/松下電器ストロボ雑誌広告/1974年

1974年、松下電器デザイナー東澤雅春さんから、携帯ストロボ雑誌広告の撮影依頼があった。

ストロボは閃光時間の短さから、肉眼では確認出来ない動きの瞬間を凍結させることも可能だ。今では当たり前の事だが、50年前はまだ広告には珍しいアイデアだった。日常生活からさまざまな現象を選び、凍結した動きをビジュアルとして実際に見せると、強いインパクトが生まれるだろうと考えた。
殴られて吹っ飛び、リングから落下するボクサーを空中で静止させることを思いついた。
ストロボの特徴と効果を一目でわかる「百聞は一見にしかず」が頭にあった。

映画のスタントをやっていた「JAC(ジャパンアクションクラブ)」を訪ねて、リングから落下するボクサー役を頼んだ。リングサイドに集まったカメラマン、関係者、観客、などはデザイナー、コピーライター、スタイリストなど撮影スタッフにお願いして出演してもらった。スタッフ全員の手作り撮影だ。但し、リングから本当に落下することはリングサイドカメラマンに知らせないでいた。
また、ボクサー役のスタントマンには、ヒラリと足から着地しないで、ぶざまに腰から落ちるように頼んだ。
殴られて吹っ飛ぶのだから見事に着地しては困るのだ。

本番は一発勝負。
ボクサーはしたたか腰を打ったと思う。

AD・D→東澤雅春、C→松岡英輔、ST→児島雪絵、M→JAC


2022/09/10

「Heavy/週刊プレイボーイ/1972年」

「Heavy/週刊プレイボーイ/1972年」

1971年、集英社週刊プレイボーイ編集者小田豊二さんからヌード撮影の依頼があった。
小田さんは当時篠山紀信さんの担当編集者で、私が助手時代に意気投合した。篠山さんの写真集『オレレオララ』の撮影でブラジル、リオデジャネイロへ行った際にホテル同室となり、ロケの間中お互いに人となりをさらけ出した。

私が夜中にコッソリ部屋を抜け出して貧民窟へ通っていたのも、撮影が休みの日にはコパカバーナの海岸でジュース売りを手伝っていたことも、大雨の後、地元の女の子の家で食事してたことも、全部見逃してくれた。
私が写真家になったら一緒に仕事しようと話していたので、約束を実行してくれることになったのだ。

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