2025/09/08

おもかげは

具体的なテーマがあるわけでなく、強いて言えば心の奥底に沈んでいるぼんやりした記憶がきっかけなのかもしれない。

おもかげは人だけに限って残されているのではなく、街角や風景や岩にだって漂ってくる。懐かしさの中には華やかな匂いもあれば、哀しみとともに後ろ姿をぼんやり見せて消えるものもある。
立ち止まって耳を澄ませていると、忘れよう忘れようとしていた記憶までもこちらに向かってくるようだ。
失いそうになる気持ちの支えが、写真を撮ることで再び力が蘇る。私が写真を撮る理由は言葉で言えない何かを信じているからだと思う。

写真は信仰に近いのかなあ、と常々私は考えている。


2025/08/26

火に対する畏れ

火炎

ヒトが地球上に出現した当初から、火に対する畏れは生まれていただろう。
生命を繋いでいくために火と水はどうしても欠かせない。

原初の畏怖心は具体的な現れとしては変化しただろうが、火に対する根本的な尊厳は現代に於いても変わらない。だからこそ燃える火炎に対しても負けじと人間は熱量を注ぎ続ける。


2025/08/25

「火炎」の撮影

先程、「火炎」の撮影から戻る。

火もまた水と同じく定まった形がない。
その火により火力の強さ加減で明るさも一定ではないのだ。したがって火の実体に写真的に迫ろうとすると、かなり難度が高い。経験により、瞬時にカメラ側の条件を変えなければならない。
環境を含めず、限りなく火そのものに近づいてみたいと思った。

火は見えない。
だからこそ見なければならない。


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