自由にやろう
先日、7人の若者が訪ねてきた。
彼らは大学時代に僕の授業をとった「教え子」達です。
遅れてさらに1人参加したので、久しぶりに8人の元学生達と楽しい時間を過ごした。
彼らは2007年に大学を卒業したので、4年ぶりに顔を見た子もいた。
「子」と書いてしまったけど、なかには結婚して子供もいる立派な大人達ですが、僕にとってはやはり「子」と呼ぶのがふさわしい。
「先生、私たちはもうアラサーですよ」
といっていたけど、「アラフォー」になろうが、「アラフィフ」になろうが、僕にとって彼らはいつまでも「子」なのです。
「CAFE beeで先生がいれたコーヒーを飲むのが楽しみ」と言ってくれました。
可愛いじゃないですか。
今朝のこと
母の初七日も終わり、今はあっという間に時が過ぎ去っていくのを感じています。
生前、それほど頻繁に母と会っていたわけではないのですが、いるといないとでは、心のありようが随分違います。やはり、心のどこかにポッカリ隙間が空きました。
今朝、僕が撮影した母の写真をあらためて見ました。
母が息をしている最後の顔、息を引き取った直後の顔、翌日の顔、納棺の際の顔、すべて撮影しました。
写真は不思議です。
まったくの無表情な顔から時間が経つにしたがい、少しずつ母が遠ざかっていくのがわかります。
生きている顔も死に顔も、どの顔も好きです。これが愛情なのでしょうね。
顔の表面からは、何もかもが消えて、本当の母だけになったとても可愛い顔でした。
カメラを構えている時は、不思議に思えるくらい肉親の情が湧きません。被写体をどう撮るか、ひかりはきれいか、ピントはどこに合わせるか、クローズアップはどのくらいにするか、などなど、ほとんど無意識で、ピントグラスに写っている映像に没入しているのでしょう。無理に言えば写真家としての本性だと思います。
ただ、ひとつだけ撮らないものがありました。撮らないというより、撮りたくなかったものです。
それは、焼かれた骨が火葬場の炉から引き出された時です。
小さな焼けただれた骨が、人が寝ている形になっていました。
母の骨だとわかっていても、僕と目の前にある人の形の骨とは、ものすごい距離を感じました。
撮る意欲が湧きませんでした。
ああ、母はこの世から消えた、という醒めた感覚だけがありました。
Recent Comments