2011/09/11

渡会審二写真展「音のない風景」始まる

鎌倉七里ガ浜の住人であり、繊細な質感を表現する写真家渡会審二さんの作品展が、「GALLERY B」で始まりました。
今回発表した作品は、2種の写真で構成されています。ひとつは浜で拾われたガラス瓶を並べたもの、他は水平線と空を切り取った海景です。
ガラス瓶はモノクロとカラー、海景はカラーです。
どちらの作品もデリケートな色彩感覚をよりどころにして撮影されています。
モノクロームの写真に色彩の言葉を使うのはおかしいと思われるかもしれませんが、渡会さんのモノクロ写真は、画面全体が美しい色に満たされているのです。それは被写体であるガラス瓶だけを見つめているからでなく、被写体を包み込んでいる空間ごと、目に見えるようにしたいと熱望した結果だろうと考えます。

渡会さんの目には空気に色がついて見えます。
湿度や密度を色で表現してるように見えます。

ガラス瓶がそこに存在してるのは空間があるからであり、その空間は目に見えないけれど、必ず写真で表現できるはずだと、作品を鑑賞する者に証明してるようです。

そして、繊細な感覚で作られている作品でありながら、展示されている写真はどこか図太いのです。
僕が渡会写真を好きなのは、この図太さです。
デリケートなトーンや質感を大事にするあまり、なんだか全体が神経質で弱々しい作品になってしまい、作品から発する「力」を失った写真も、時には見受けられますが、渡会写真には、ひ弱さは微塵もありません。

続きを読む


2011/09/02

Enjoy !

先日、「The Newyorker」から僕のホームページのアドレスにメールがありました。

「自社のweb上で、村上春樹さんの小説『1Q84』の世界を写真で展開したい、ついてはあなたの写真作品のうち、この作品を使いたいからデータを送ってください」

と連絡があり、僕の作品「FACES II」中の1点が画像添付してありました。
指定してきた写真は僕の自写像です。
最終的に「The Newyorker」社が選ぶかどうか未定、決定した場合、掲載使用料金はなし。ただし、希望のデータは作品に付ける、ということでした。

続きを読む


2011/08/03

自由にやろう

先日、7人の若者が訪ねてきた。
彼らは大学時代に僕の授業をとった「教え子」達です。
遅れてさらに1人参加したので、久しぶりに8人の元学生達と楽しい時間を過ごした。
彼らは2007年に大学を卒業したので、4年ぶりに顔を見た子もいた。
「子」と書いてしまったけど、なかには結婚して子供もいる立派な大人達ですが、僕にとってはやはり「子」と呼ぶのがふさわしい。
「先生、私たちはもうアラサーですよ」
といっていたけど、「アラフォー」になろうが、「アラフィフ」になろうが、僕にとって彼らはいつまでも「子」なのです。

「CAFE beeで先生がいれたコーヒーを飲むのが楽しみ」と言ってくれました。
可愛いじゃないですか。

続きを読む


1 217 218 219 220 221 222 223 249

permalink :

trackback :