2013/03/31

性空上人の頭部

写真

2005年12月、縁あって、姫路にある書写山圓教寺に行きました。
同寺を創建した性空しょうくう上人の木像が発見され、撮影させていただくことになったのです。

性空上人は延喜10年(910年)京都に生まれ、寛弘4年(1007年)播磨国弥勒寺(現在書写山圓教寺)で亡くなりました。
元山大師良源に師事し、日向国霧島山や筑前国脊振山で修行した後、書写山に入り、感ずるところがあって桜の生木に如意輪観音を彫ったと伝えられています。

生前から数々の霊験があり、39歳の時、法華経を暗誦していると突如として乙若二人の童子が出現したという。これら童子は不動毘沙門天の化身で、性空上人入寂まで上人の側で従ったといわれています。花山法皇、恵心僧都源信えしんそうずげんしん慶滋保胤よししげやすたねなどといった歴史上に名を残した人達の参詣を受けました。しかし後年、権勢や栄達を誇った人たちとの交わりを避け、書写山奥の草庵に隠棲しました。一条天皇の中宮、彰子が和泉式部をともなって訪れた時も会わなかったと伝えられています。
後年、かの有名な一遍上人が圓教寺を訪れ、桜の樹に彫った六臂如意輪観音像を拝観したとも聞いています。

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2013/03/21

かぶれ

朝、8:30分、鎌倉にある皮膚科医院に行きました。

僕の弱点の一つは、皮膚が弱いことです。
虫に刺されるとすぐに膿んでしまうし、寒暖の差が激しいと身体の繊細な部分にジンマシンが出たりします。
今回は漆です。漆にかぶれました。

「Cafe bee」で使用しているカップは、陶芸家の枡たかさんにお願いして特別に焼いていただいたものです。
僕の珈琲に対する考え方の基本は、なぜ珈琲が飲みたくなるかというと、「ホッとしたいからだ」というのがあります。ですから、「口当たりのやわらかさ」というのは基本中

の基本です。そのために焙煎を工夫しているのですが、珈琲豆の焙煎だけでなく、カップもとても大事な要因です。せっかくやわらかい口当たりを実現させた焙煎であったとしても、冷たい印象のカップを使っては台無しです。
その点、枡さんのカップはやわらかい印象を与えてくれます。ただし、磁器のようには硬く焼き締めていない分、強度の点で多少もろいところがあります。
「Cafe bee」が開店してから3年過ぎました。毎日大変な頻度で使用していますから、いくつかのカップは欠けてきています。その欠けた部分に「金継ぎ」を施しました。3日前のことです。
当然ながら材料は「本漆」を使いました。

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2013/03/14

頭の中(2)

今朝は糸のように細い雨が降っています。

毎朝必ず決まってすることがあります。前日焙煎した珈琲を淹れて試飲します。時には4杯ぐらいたて続けに飲むことになりますが、今朝は「ブラジル」と「ブレンド」でした。現在の焙煎は理想の域に達しています。もちろん自分にとっての理想です。
思ったように焙煎して、思ったような香り、味が実現できた喜びは、なんとも言えません。それを毎朝体験してるわけですから、幸せなんだろうなと思います。こんな日常の些細な幸せが大切だと思います。

このところ、数日間撮影に没頭していました。

突然新しいテーマが起き上がってきたので、それを確かめずにはいられません。
僕にとって写真はなくてならないものです。
何でそれほど写真が面白いかというと、写真には必ず被写体が存在してるからです。
そして目の前にある被写体の表層を見つめていると、自分のイメージと深く関われるからです。
被写体は本来僕とは無関係に存在しています。無関係ということにとても惹かれます。
自分のイメージから出発して物事を考え始めると、自分のイメージを超えることは難しい。あくまでも自分の世界の中での出来事になってしまいます。

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