2025/10/19
2025/10/16
写真的映像

写真的映像というのは撮影中に生まれ写真のフレームの中に存在する。撮影する時間を正確に記録することが必須の条件となる。例え瞬時の時間であろうと長時間の露光であろうと捉えた時間の中だけにすべてが存在する。
動かない一つの画面に魅入られるのは、画面に真実が写っている時だけだ。
何故写真を撮るのか?
撮った写真の中に、実際に経験した時間よりも短い時間や遙かに長い時間を見出すことが出来るからだ。つまり、実際の経験よりも豊かな意識を持たせてくれるからなのだ。
2025/10/14
轟音

滝を目の当たりにしてもっと近づいて見たい、出来れば落下する水の様態をつぶさに記憶に焼き付けたいと願ったとしても、今いる場所からこれ以上接近することは不可能だ。
それに落差ある空間を落ちてくる水のスピードに私の眼球はついていけない。しかし、私は今自然の只中にいて、滝を見ているという真実を記録したい。ありのままの現実であるからこそ魂が震えるのだ。轟音に私の魂が震えるのは、滝にも魂があり、滝の魂が震えてるそのことに共感するからなのだ。

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