2025/08/15

火の儀式

人は「火」を見ると何を感じるのだろう。

各地に残る火の儀式を考えると、太陽を連想するのが自然の流れで、太陽は生命の源であり、また、破壊の象徴でもあろう。

太陽信仰、祖先崇拝、汚れを祓う浄化などの諸説あるけれど、私は写真家なので、それよりも体験からみちびきだされる個人的、具体的な感想の方が重要です。

私にとって最も大切なのは現場です。

現場から瞬間という時間概念を外して大きく見渡したのが大地でしょう。現場にしても大地にしてもとにかくその場に居なければ写真にならない。その場に居ることによって感じる一言で言えば「生々しさ」を美しく撮りたいのです。

「火」でもおなじこと。
熱さ、燃える音、時には怒号、焦げた臭い、儀式の場合であればクライマックスがある。しかし、クライマックスは一つ一つの場面にも存在し、どちらかというと外れたちょっとした瞬間に心打たれます。


2025/08/13

火炎

火炎を見ると体がゾワゾワする。

理屈じゃない。

考えたから体が反応したわけではない。見た瞬間にもう落ち着かないのだ。この感覚を、言葉で伝える力は私には無いけど、写真なら近づけるかもしれない。

火炎のせいで、身体の内側から湧き起こる力を、写真を見た人と共有出来たらなあと思う。


2025/08/10

象徴としての橋


神域へ踏み入る象徴としての橋。
繋ぐための機能を放棄された橋。

どちらも私には興味深い。

初めは異界に飛翔する橋を探していたが、捨てられた橋も目につくようになった。

人は人の都合で橋をかけ、渡った人の数だけ想いも渡ったはず。人の渡らない橋は人の想いも消え、寂しくもなく哀しくもないただのモノとして自然に還っていく。
しかし、象徴としての橋を探していたからだろうか、ただのモノに還ろうとしている橋から、人の声が聞こえた気がしてならない。


1 2 3 4 264

permalink :

trackback :