2015/03/04

多摩美術大学最終講義(9)「身体」

大学での講義も「光」「顔」と続いて、第3クールに入ると「身体」の話になります。

まず、学生全員に立ってもらい、普段歩いてる普通のスピードで真っ直ぐ歩かせます。
次に同じ場所から再び歩いてもらいます。前回よりゆっくりと。
「何か感じることがありますか?」
学生は何を質問されてるかわかりませんからシーンとしています。
次に、前回よりもさらにゆっくり歩いてもらいます。
超スローモーションですね。
ここで再び質問
「何か感じたことがありますか?」
学生はまだキョトンとしています。
私が超スローモーションで歩く動作を全員の前でやってみせます。

① 肩幅の広さで両足を揃えて立ちます。重心は左右の真ん中に。
② 第一歩を右足から出すためには、何をしなければならないか?
学生に問いかけます。
ここで、勘のいい学生は、私が何を伝えようとしたかわかります。
③ 第一歩の右足を前に出すには、重心を左足に写してからでないと動くことは出来ません。
つまり、前に進むための第一歩を出す前に、自由になることが必要なのです。
当たり前だと思われるかもしれませんが、ただ歩くだけでもよくよく観察すると、思わぬ発見があります。実際に自分でやってみるとよくわかります。
動く前に自由である重要性を感じ取っていただきたい。

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2015/02/23

多摩美術大学十文字美信・最終講義(8)「らしさ」について。

約、10ヶ月ぶりのブログ更新です。

昨年定年退職した多摩美術大学での講義を、忘れないうちに書き留めようと始めた話も昨年の4月を最後に中途で止めていました。ひとまず講義を続けます。

第3期は、「らしさ」についての授業です。

日常的によくこんな会話を耳にします。

「ねえ、あれっていかにも・・・さんらしいよね」

この時の「らしい」とは、何を指してそう思ったのでしょうか。
その人らしい個性や特徴を自分なりに掴んで、その特徴を共有出来たら、と思ったのでしょうか。
もし、その人の個性や特徴が本当に掴めたとしたら、人物写真を撮る時に手掛かりとしてこれほど心強いことはありません。
「その人らしい写真」が、人物撮影の基本ですから。
ところがです。「その人らしい」と思っていることが、実は案外頼りなくて曖昧なことが多いのです。

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2014/04/10

多摩美術大学十文字美信・最終講義(7)

しばらく時間とれなくて、ブログに書き込めなかった。
多摩美術大学教授の職も、先月3/31日をもって定年退職しました。
理想的とは言えないまでも、優秀な学生にも出会え、充足した10年間の教授生活だったと思う。

実際にどのような授業をしていたかを書き留めておかないと忘却してしまうので、ブログ上で思い出してみたい。
今回で第7回目の講義になります。

「顔」については話したいことが山積しています。
人の「顔」認識の不思議さについて、学生にも実際に体験してもらいます。

「顔」として描いたり作ったりしたものでないにも関わらず、「顔」に見えた経験は誰にでもあると思います。
壁に画鋲が3個刺さっているだけで、配置によっては顔に見えることがあります。
自動車のラジエターグリルが「顔」に見える。

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