珈琲

coffee cups

久しぶりに珈琲の話です。

早いもので、初めて焙煎してから7年経ちました。
珈琲の焙煎は、想像よりも奥が深く、なかなか理想の域に届きません。
比較するのはおこがましいですが、陶器の焼き物にしても、刀鍛冶にしても、酒の蒸留、料理など、なんであれ、炎を相手にしたら、答えはなかなか見つからないのでしょう。
こんな珈琲の焙煎などという小さな世界であっても、炎に関わると、その玄妙な魅力にとりつかれます。
普段、海外出張で留守以外は、毎日必ず焙煎するので、この7年間で何回ぐらい焙煎したのかわからない。
現在の焙煎機で1回に焙煎する理想的な分量は、結局、815gです。元々1kg用に、体積を計算して作ったのですが、ガスコンロの火力の強弱、焙煎後の保存瓶の容量から、815gに落ち着いた。
珈琲に何を求めるか、で焙煎のやり方はまったく違います。

先月、オークランドへ行った折に、今話題になってる「ブルーボトルコーヒー」の本店ショップへ行ってきました。地元の人が並んでいましたが、列の中に日本人がいたので、こんなところまでと驚きました。
味、香りは今流行の酸味が強く、私には合いません。
一杯ずつ丁寧にドリップすることで、話題になったのでしょうが、淹れ方を見てると私の考えとは違っています。ドリッパーの中に、湯を溜めてしまったら、抽出の最後の方は古臭い苦味が混じってしまいます。
浅い焙煎の豆をそのように抽出し、しかも、分量が多すぎるので、1杯のカップコーヒーを、私にはとても飲みきれませんでした。
ゆっくりと丁寧にドリップするのは、日本人の得意とするところです。使用しているドリッパーやペーパーを見たら、もちろん日本製でした。
「ブルーボトルコーヒー」が日本で持て囃されるのは、ある意味では逆輸入ですね。だいたい、特にヨーロッパやアメリカで話題になったものに対してすっかり参ってしまうのは、歴史的にみても日本人の特徴です。
元々日本でやっていた時にはそれほど価値を見出せず、ヨーロッパやアメリカで評価されると有り難がる。いつの時代でもこの日本人らしさは変わりません。
何が流行っているか、より先に、自分の好みをしっかり掴むことが大事ですね。

私が珈琲に対して大切にしていることは、香りが豊かであること、口当たりが優しいこと、味にそれぞれの豆の個性を大切に表現すること、飲み終わりの消え方が爽やかで甘味が最後に消え残ること、カップの残り香にドラマがあること、理想は「官能的なドラマ」ですが、なんとか実現したいのです。

焙煎も7年目に入り、かなり理想に近づいてきました。
現在はカップとの相性を探しています。
昨年まで、鎌倉在住の陶芸家升たかさんのカップを使用していました。今は、モカイルガチェフを飲むためのデミタスカップのみに升さん作のカップを使い、スペシャルやストレート珈琲は、コレクションしたカップを使っています。

1年ほど前からオークションでカップを探しています。
1800年代のキャビネットカップがほとんどですが、珍しいくらい美しく、また当時のヨーロッパの人たちのシノワズリ(東洋趣味とでも言うのでしょうか)がいかに強かったのかわかります。
現在は40点くらいコレクションしましたが、まだまだ増えそうです。

 

permalink :

trackback :