多摩美術大学十文字美信・最終講義(7)
しばらく時間とれなくて、ブログに書き込めなかった。
多摩美術大学教授の職も、先月3/31日をもって定年退職しました。
理想的とは言えないまでも、優秀な学生にも出会え、充足した10年間の教授生活だったと思う。
実際にどのような授業をしていたかを書き留めておかないと忘却してしまうので、ブログ上で思い出してみたい。
今回で第7回目の講義になります。
「顔」については話したいことが山積しています。
人の「顔」認識の不思議さについて、学生にも実際に体験してもらいます。
「顔」として描いたり作ったりしたものでないにも関わらず、「顔」に見えた経験は誰にでもあると思います。
壁に画鋲が3個刺さっているだけで、配置によっては顔に見えることがあります。
自動車のラジエターグリルが「顔」に見える。
岩の模様が「顔」に見える、水道の蛇口と取手が角度によっては「顔」に見える。
樹々の節や根っこ、道路に書かれた標識、置かれた石、白菜やジャガイモだって「顔」に見える時があります。
へのへのもへじも「顔」にみえますね。
ではどんな条件が揃えば「顔」に見えるのでしょう?
丸いものが二つ並んでいれば眼を想像するから?
いや、そうでもありません。
穴が一つあるだけでも開いた口をイメージしてしまい、笑った「顔」に見えることもあります。
なぜ「顔」に見えるのでしょう。
他の物体が「手」に見えたり、「足」に見えたりすることだってありますが、「顔」に見える経験からすれば少ないです。
圧倒的に「顔」なのです。
学生には課題を出します。
「日常周辺の中から、顔に見える瞬間を写真に撮りなさい。但し、初めから顔として存在しているものは対象外です」
撮影期間は2週間です。
この課題は「顔面グランプリ」と名付けて、2004年から「顔」の授業では毎年出題してきました。
やってみると案外難しい。
風景の中に「顔」を発見して切り取るためには、あらかじめ「顔」を強くイメージすることが肝要です。
ただぼんやりと歩いていても「顔」を発見することは出来ません。
この、強くイメージすることの大切さを体験してほしい。
発見以前に、想像することが必要なのです。
「顔」に見えた瞬間の喜びは、これは経験してみないとわかりません。
そして、幾つか「顔」を見つけてるうちに、ただ「顔」に見えているだけでは面白くないことに気づいてきます。
同じ「顔」に見えても、面白い「顔」とそうでもない「顔」があるのです。
この差はなんでしょう?
面白いと思う「顔」の条件は、①意外性、②表情がある、ことが条件になってきます。
①思いもよらなかった場所や環境でも、見る角度によって、あるいは光の明暗によって、「えっ、これは確かに顔に見える」ことがあるのです。
②発見した「顔」には、まるで感情が宿っているように見える。
以上二つが面白い顔に見える最低条件です。
この二つ以外にも面白いと思える条件があるはずです。
撮影を繰り返してるうちに、「顔」に見える不思議さ、面白さにのめり込んで欲しい。
「顔面グランプリ」の課題を撮影してるうちに、イメージすることの大切さ、表情を発見する楽しさを身に付けて欲しいのです。