合宿ダンス。
8/22~24日まで、多摩美術大学で僕の授業を受けてる3年生14人と大学の助手さん、僕を含めた計16人で合宿をしました。
奈良から天理に向かってしばらく行くと、窪の庄というところがあり、そこに大学の寮があるのです。
8年前に大学で授業を持つようになって思ったのは、若い人が、日本の歴史や伝統文化に対してもう少し関心を持ってくれたらいいのだが、でした。それで、機会があれば寺や神社、仏像、美術工芸品などを直接目に触れさせて、話をしたいと考えていました。
奈良の近くに大学の寮があるのだから、夏休みを利用して奈良近辺を巡り、日本の文化に触れる合宿をしようと思ったのです。
大学教授になってから3年間は続けて合宿を行ったのですが、その後は何となく中止になり、寮の都合もあったりして、中断していたのです。それが今年の3年生の「先生、合宿を再開してください!」の声で再びやることになりました。
近鉄奈良駅で集合して、まず東大寺に行きました。僕は26年前に東大寺の盧舎那仏蓮弁を撮影しています。何故蓮弁だけを撮ったかというと、752年に聖武天皇が大盧舎那仏を造立した当時のものは、もう蓮弁だけしか残っていないのです。1180年、平重衡の南都焼打ちに合い大仏も大仏殿も焼失。1567年にも松永久秀の兵火に合い焼失。その度に復興を重ね、現在の大仏のお姿は、当然ながら聖武天皇、良弁僧正が造立した当時のものではありません。
撮影に関しての話など交えながら、仏教と当時の「鎮護国家」の考え方や「華厳経」の話などを少しだけしました。
法華堂や二月堂を廻ってその日は寮へ直行。
翌日は午前中、円成寺へ行きました。円成寺には仏師運慶の処女作と言われている「大日如来像」が安置してあります。僕は26年前に運慶作のこの大日如来を撮影した際、この仏様の初々しさ湧きあがるエネルギーに感動したので、ぜひ学生たちにも見てもらいたいと思ったのです。運良く、円成寺住職のお話を聞くことができました。
奈良へ戻り、博物館で行われている特別展「頼朝と重源」を拝観しました。
南都焼打ちからの復興に、鎌倉の「源頼朝」の多大な協力がありました。
俊乗坊重源、頼朝、西行の果たした役割などもタイミングをみては学生に話しました。「五輪の塔」の造形を例にとり、リアリズムと抽象の考え方も知ってほしい。
僕はこの時代を想像するのが好きです。
寮へ戻り1時間の講義。
京都貴族を中心とした文化から、鎌倉武士の登場、阿弥陀信仰から浄土宗、浄土真宗、日蓮宗の鎌倉新仏教、そして、禅宗に至る流れ、時宗が果たした役割などを話しました。
仏像を例にとり、定朝様式から鎌倉リアリズムといわれる表現の変化、奈良の慶派と鎌倉の親密な交流も若い人に伝えたかったのです。
何しろものすごい暑さの中を歩いたあとの講義ですから、眠くなるのは当たり前、「半分ぐらいの学生が寝たらその時点で講義はやめるからな」と宣言して始めたのですが、みんな熱心に聞いて、メモをとるものもあり、誰一人として居眠りするような学生はいませんでした。
翌日は最終日、午前中に浄瑠璃寺へ行って「九体仏」を拝観し、近鉄奈良駅で解散の予定です。
早朝5時半頃目が覚めて隣を見ると、寝てるはずの学生がいません。寮は2階建てです。1階は2部屋で男性が使い、2階は3部屋で女性達が使ってました。僕と同室の2人の姿が見えません。おかしいな、と思いながら隣の部屋を覗くと、布団は敷きっぱなしになってるのだけど、学生の姿が見えない。2階かな、と思って階段を上りかけたら、何やらヒソヒソ話し声が聞こえる。「こんなに早くから何をやってるのかい」と思ったのですが、学生同士で何か話してるから、むしろ僕が顔を出さない方がいいのかな、と部屋に戻りボンヤリしていました。
しばらくすると突然部屋の襖がガラリと開き、学生が一人ずつ体を揺すり踊りながら「コロンビアで〜す」「グアテマラで〜す」「深煎りモカで〜す」「ブラジルで〜す」などと歌いながら室内の壁の前に整列するではありませんか。そして、「モーニングコーヒーで〜す。先生、僕たちを焙煎してください!」と合唱するのです。見ると全員顔を茶色く塗って中心に黒い線を引き、コーヒー豆の化粧をしています。確かに深煎りの奴もいれば色が薄い中煎の奴もいる。
僕がコーヒーの焙煎に並々ならぬ情熱を持って取り組んでるのを知ってるからだ。
「先生、合宿本当にありがとうございました!」と言われた時は胸が熱くなりました。
学生と接するのもいいね。
教授生活もあと1年半、やはり終わると寂しいんだろうね。