続「風の盆」
昨日(9/4)、富山の八尾から戻りました。
八尾の人たちの「おわら」に対する情熱には感動です。
僕も引きずられて三日間、連日深夜から明け方まで町流しの後をついて歩きました。
おかげで自宅に戻った今も、あの独特な「おわら」の曲が体の中から聞こえてきます。
これから撮影した素材を集めて、編集に入ります。
なんとか、八尾の人たちが大切に守ってきた「おわら」の心の一端を表現したいですね。
どっぷり「おわら」に浸った三日間でしたが、終わった今、自分が考えていたことは間違えてなかったなあ、と思っています。それは部外者として守らなければならない最低のマナーのことです。
三日間で二十七万人の観光客が「風の盆」を見に訪れると聞いていたので、混雑を想像していましたが、現実は予想をはるかに超えていました。
普段はひっそりした静かな町が、「風の盆」の期間中は人でごったがえしています。
大勢の人の熱気は僕を含めた全員の気持ちを高揚させるし、それはそれで必要な要素ではありますが、地元の人たちにしてみれば、あらゆる面でこれは異次元の三日間でありましょう。
昼間でも人影まばらな路地が、この期間は人、人、人で通りから通りを横断することもままなりません。
深夜でも、「おわら」の歌い手や地方衆が町流しのため姿を現すと、観衆が殺到してすごいありさまになります。しかも、群衆の中のカメラを手にした方の多さには驚くほどです。
地元の人からみれば僕もその一人ですから、強いことは言えないかもしれませんが、「おわら」を大切にしたいので、僕なりに考えてきました。それは、その場の自然の光を大事にすることです。なるべく音を立てずに余計な光を当てずに、小さな路地明かりでも思ったような映像が写るように、感度と色温度を設定して臨みました。デジタルカメラの性能が進歩した現在では誰でも出来る簡単なことです。以前も書きましたが、ストロボを発光させるなんてもっての他です。地元の総代が事前に何度も注意してるにもかかわらず、それを無視して無神経に光を当てる人が多すぎます。いい作品を作ろうとする前に、部外者である僕たちがどんな態度で参加すればよいのか、考えさせられた三日間でした。
今回の作品は動画ですから、被写体が動くか僕が動くか、あるいは、その両方が動かなければ動画の甲斐がありません。しかし、デジタルカメラの現状では、距離が近い動く被写体をフレームのなかに追い続けることはできないのです。画像の書き込みが間に合わず、絵が流れてしまい、いわゆるピンボケと同じ状態になってしまうからです。それに、デジタル一眼レフカメラは、もともと静止画用に考えられてきましたから、レンズに刻まれてる距離目盛りが動く被写体を正確に追い続けるには向いていません。さまざまな事前テストの結果、撮影スタイルは、手持ち用ジャイロの上にカメラを乗せ、距離は勘で撮ることになりました。いくら撮影方法を説明しても現物を見なければ理解できないと思いますが。
まだ編集が終わっていないので、現段階ではなんともいえませんが、思ったとおりうまく写っていたら、それは僕を補佐してくれたスタッフの優秀さのおかげなのです。