サイン

八月二十六日の夕方、ギャラリーショウへ行った。

展覧会に出品する「FACES」の写真に、サインをしてきました。

作品はtype-Cプリントなので、使用する紙は普段使い慣れているコダックの「ENDURA」です。
紙自体にモノクロ印画紙のような強度がないため、写真を台紙に密着して展示することに決めました。
そのため、サインするのは台紙の裏になります。
フレームの裏の窓から僕のサインが確認できる構造になっています。

そうか、ということは、壁に展示された状態ではサインが見えないので、確認するためにはギャラリーの人にお願いするしかないのですね。
いや、なぜサインの話をしたかというと、以前、僕の写真を見たある方が「あなたのサインにとても興味があります」と言って、ジィーッと眺めていたのを思い出したのです。その方は写真よりもサインを眺めてる時間のほうが長いくらいでした。
当然、本人が書くわけですから、作品とサインにはなんらかの共通点があって当たり前です。
因果関係というのは大袈裟ですが、しかるべき人が見たら、両者の間に漂っているものから、ある方向性ぐらい読み取ってしまうかもしれません。


あくまでも僕の個人的な感想ですが、作品に書かれているサインで嫌いなのは格好つけてるサインです。
サインに限らないですが、やはり見苦しいのは、「こう思われたい」「こう見られたい」とあからさまに感じられるものですよね。
そういう心持ちの人を「野暮」というのでしょう。
でも、正直言うと、僕の心の中にも格好いいサインをしたいという気持ちはあります。
ありますが、じゃあ、何が格好いいかというと、これが結構難しくて、いろいろ試しているうちにわからなくなって、結局、何も飾らない、下手のままでいいや、これが自分だから仕方ないよ、に落ち着いてしまいます。

何が格好いいかわからなくなっても、何が好きかはわかります。
好きな字、というのがあって、自分で書く字も、好きな字が書けたらなあ、とたびたび思います。
他人が書いた字で好きな字はたくさんあるのに、自分で書くと嫌いなのは、技術の問題でしょうか?心の問題でしょうか?
多分、心の問題ですね。
僕の心の中にも「よく思われたい」の気持ちが存在してるから好きな字が書けないのでしょう。
それも含めて「正直」に書くしかないと決めています。


今回、ギャラリーショウで「FACES」の作品を見たのは久しぶりでした。といっても写真が手元から離れていたのは、たったの「八日間」でしたが。
あらためて写真を見ると、この作品は好きですね。
今まで僕が撮った作品の中でも最も好きな写真です。

なんでそう思うのでしょうかね。

多分、今の僕の正直な気持ちがそのまま写真に現れてるからだと思います。

 

 

One Response to “サイン”

  • 中東佐知子 |

    八尾の消印の案内状が届きました。
    こちらまでお送りいただき、ありがとうございました。
    案内状の写真を拝見しただけで、胸が高鳴ります。

    いつもブログは拝見しております。私も先生のサインはとても好きです。そのサインや作品と会える日を夢見ております。

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