「風の盆」

昨日(二十四日)、一週間ぶりに富山県の八尾から戻りました。
このところ、八尾に滞在することが多くなっています。
理由は「おわら風の盆」を撮影するためです。

CANONのデジタル一眼レフカメラを使って作った動画作品の第一作目は「さくら」でしたが、その第二作目を「風の盆」に決めました。

以前から「風の盆」を撮ってみたいと考えていましたが、チャンスはなかなかありませんでした。
撮影する側から言いますと、これほどやっかいな被写体はありません。撮影するには当然撮影可能な明るさが必要です。「風の盆」は夜に行われるので、そのままでは絶対条件の光量が不足してしまいます。そのため、ライトを点灯したりストロボを発光させなければなりません。でも、想像してみてください。八尾の細い路地裏を、数人の地方連がひっそりと流して歩いている時に、無遠慮にもストロボが突然発光したら・・・。

現在の「風の盆」の心髄は、真夜中の路地から路地を歌いながら歩く「町流し」にこそ残っていると僕は考えています。心のおもむくままに、三味線や胡弓の音色に合わせて男たちが自由に「おわら」を歌う。その後ろを、本当に「おわら」を好きな若者たちが踊りながら静かについて来る。そんな光景を撮ってみたい。だから、照明を当てるなんてもっての他です。しかし、撮影するには暗すぎる。今までの機材では、撮りたくても撮れなかったのです。

デジタル一眼レフカメラなら、なんとかなるかもしれません。
感度の設定が今までのフィルムカメラではとても不可能な高感度まで上げることが可能になったからです。
しかし、結果はまだわかりません。
思ったとおりの映像を撮影するには、感度の問題などほんの一部にすぎない。
本来はスチール写真を撮るために作られたカメラですから、動画を撮影するには、まだまだ不都合も多いのです。ましてや、暗い中で自由に操るには改善しなければならない箇所もいくつかありますよ。

本当に心を打つ映像を作るには、カメラの機能が最重要な要素というわけではありません。
ドキュメントの場合は、なんといっても、僕と被写体との関係が作品の性格を決めてしまいます。
作品「風の盆」でいえば、僕の感想よりも、僕が接した八尾の人たちの反応が大事なのです。すごく簡単に言ってしまえば、僕に対して八尾の人たちがどんな印象を持ったのかがそのまま映像にあらわれます。
でも、人それぞれですから、誰に対しても同じ反応を期待したら失敗します。だから、結果を恐れずに、何事も正直に楽しむ気持ちが肝要と僕は思っています。

今月の二十九日に再び八尾に行きます。
たった二週間ぐらいの期間でも、たくさんの人たちと知り合い、知り合った数だけ物語が生まれています。

また次にめぐり合う出来事が楽しみなのです。

 

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