暗闇
このところ仕事の撮影依頼が多く、幸いにしてコーヒーの焙煎回数も増えてきているので、PCに向き合う時間がほとんどない状況が続いています。
せっかくここまで続けてきたのでなんとか書き込みたいと思っています。
撮影が多くなったのは、やはり昨年の震災の影響でしょう。昨年は先行きの見通しが立たなかったので仕事もなるべく控え、静観していたのが、3月の年度末でそうもいってられない、というのが現状だと思います。
昨夜も車を運転しながら、そういえば昨年の今頃は節電で街灯が消え、暗い道路だったなあ、と思い出しました。コンビニのイルミネーションなども、ほとんど消えていました。全体に薄暗く街がひっそりしていました。そのひそやかな空気が僕は結構好きでした。地震さえ無ければ、静かなたたずまいの暮らしは性に合っています。
30代の頃に何年も通っていた山岳民族の村を思い出しました。
夜の月明かりも無く、真の闇夜というのを本当に実感したことがありますか?
僕は山岳民族の村で暮らしている頃、こんなことがありました。
タイとビルマ(今はミャンマーですね)の国境山岳地帯にあるアカ族の村で暮らしていた頃、もう今から30年近く前です。撮影の許可を取りに別の村の村長と会った帰り、途中で少し道を間違え、予想より時間がかかってしまいました。日暮れまでに帰村するつもりでしたから、食料も懐中電灯も持たずに出てしまったのです。太陽が落ちてもまだ村までは大分あります。野宿は、それなりに準備していないと危険です。もっとも危ないのは、他民族から外れて集まっている山賊です。僕が暮らしていた村の人たちから忠告されていました。彼らに遭遇すると、身ぐるみ剥がれて、場合によっては首を切られ、その辺の密林に捨てられて永久に行方不明、ということもあり得るぞ、と。
なんとか帰り着きたい一心で、自然に早足になり、闇の帳がおりる直前は走り出しました。だんだん道が見えなくなり、そのうち走るどころか目を凝らしてなんとか進むという状態が続いていましたが、ついに、まったく見えなくなりました。
本当に何も見えないのです。
普段は火の明かりがあったり、懐中電灯がありますから、村で暮らしていても真の闇は少ない。この時は、本当に真っ暗でした。立ち止まると、シーンとして、かすかな風の動きと、土の匂いがしました。自分の不注意に情けなくなって、仕方なく座り込んでいました。食べ物は持っていませんでしたが、水だけはあったので、たった一晩ぐらいどうってことない、と気持ちを奮い立たせて地べたに座っていました。「鼻をつままれてもわからない」ってこんな状態だあ、と思ったのを覚えています。目を思い切り開いて、自分の手のひらを間近に近づけてもまったく見えません。それに、山岳地帯というのは、昼間は暑くても夜はものすごく冷えます。とにかく無駄な動きはせずにじっとしていました。
どのくらい時間が経ったのか、多分、5〜6時間は過ぎていたと思う。遠くの方から微かな音が聞こえてきます。最初は何の音かわからなかったのですが、だんだん音が大きくなってきたら、どうも馬のひずめの音のように聞こえます。土を踏む音が動物のリズムであり、規則正しい音です。近づいて来るのがわかります。そのうち、光が見え隠れするようになりました。人が馬に乗ってやって来る。誰だかわからないので、隠れようか、それともこのまま道に座っていようか迷ったのですが、そうこうしてるうちにパッと懐中電灯で照らされました。
山の村から村を馬で通っている行商人でした。
たいした経験ではありませんが、この時の座っていた数時間の体験が僕の真の暗闇です。
益々のご活躍、何よりでございます。
暗闇と申しましたら、花背には6月末から七夕あたりまで蛍が飛びます。これはもう闇で見ていただかなくてはなりません。闇であればたった一匹でいいのです。後、花背の冬は雪による倒木で停電が度々。月がなければまさに闇。ただ雪があるので月さえ出ていれば、辺りは碧くなります。
ここでゆう闇は守られたなかでの事なので悠長なことを言ってられますが、先生の体験はすごい。
生きててよかったです。
花背の夜で、月の無い夜は真の暗闇になるのでしょうね。あのあたりの冬は、雪も結構深く、闇夜は本当に真っ暗になり、雪明かりだけが頼りの景色になるのでしょう。そんな本当に微かな明るさの中で当たり前に生活するには、都会とは違った気持ちの強さが必要ですね。旅で体験するのと、日常で体験してるのとでは、次元が違う。日々の発見も僕の想像を超えたものがあるのでしょうね。