2009/08/26

「風の盆」

昨日(二十四日)、一週間ぶりに富山県の八尾から戻りました。
このところ、八尾に滞在することが多くなっています。
理由は「おわら風の盆」を撮影するためです。

CANONのデジタル一眼レフカメラを使って作った動画作品の第一作目は「さくら」でしたが、その第二作目を「風の盆」に決めました。

以前から「風の盆」を撮ってみたいと考えていましたが、チャンスはなかなかありませんでした。
撮影する側から言いますと、これほどやっかいな被写体はありません。撮影するには当然撮影可能な明るさが必要です。「風の盆」は夜に行われるので、そのままでは絶対条件の光量が不足してしまいます。そのため、ライトを点灯したりストロボを発光させなければなりません。でも、想像してみてください。八尾の細い路地裏を、数人の地方連がひっそりと流して歩いている時に、無遠慮にもストロボが突然発光したら・・・。

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2009/08/19

「FACES」の写真、暗闇の中から浮かび上がる

八月十日、本来なら湘南の久留和海岸でCF撮影の予定が、降雨のため十二日に延期。
翌十一日は同じクライアントでスチールの撮影。
もう気心が知れてるスタッフなので、撮影は約九十分で終了。それでも僕にしては時間がかかったほうです。
デジタルカメラで撮影したので、その場ですぐにセレクトする。

十二日は夜間撮影だが、午前中に撮影現場に入る。
九日に、台風の影響で高波が押し寄せ、海岸の砂浜に作った坂道が決壊。そのために若干ロケセットの位置を変更せざるを得なくなり、夕方まではセットの中のさまざまな小物の位置修正。

七時に撮影開始。空の青味が残るバランスは時間にしてわずか十分。あとは、前後のカットのつながりを考えながらライティングで修正。すべての撮影が終了したのは夜の十時半頃でした。

十三日は前日撮影した作品のテレシネ。テレシネとは、フィルムで撮影した映像を電気信号に落とす作業。この時にカラリストと一緒にモニターを見ながら色味を作っていくのです。夜は十九日から始まる別のロケの打ち合わせ。

そんなわけで、十四日からやっと「FACES」展のプリント作業を始めることが出来たのです。

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2009/08/12

顔写真のリアリティ

僕が自分で自分の過去を考えた時に興味深いのは、何故、絵を描かずに写真を撮ることを選択したかという理由です。十代の頃は尊敬する先生について絵を描いていたので、そのまま何事もなければ、画家を志していたと思う。それが偶然にも写真に出会い、写真を撮ってみようかと思うようになった。だから、僕の写真に対する興味は、写真と絵画、それぞれ表現する世界の違いを認識することから出発したように思います。

絵よりも写真のほうが圧倒的に適しているのは、やはり「リアリティ」を表現することです。ただし、この場合の「リアリティ」は、見えたまま、実物そっくりの「リアル」です。1839年に写真が発明された経緯や、当時の絵画と写真の関係を調べてみれば、実物そっくりに描くために、写真ほど有効なものはなかったことがわかります。カメラオブスキュラを使って現れた映像を定着したいという欲求から写真術は発明されたと理解して間違いありません。ところが、この写真表現が得意とする「リアリティ」は、少々問題ありなのです。見えたまま、実物そっくりの「リアル」は、言い方を変えると、自然的写実です。知人を描いた絵を見て、「本人に似てるね、そっくりだね」と思う感想です。

しかし、「リアリティ」というのはもっと複雑な感情で、見た目と異なっていても、より深くその人を感じる場合があります。あれ、錯覚かな、と勘違いするくらい強く「リアリティ」を体感した経験は誰にもあると思います。

今朝、目が覚めて、枕元にあった『土佐日記』を開いたら文中に「かげみればなみのそこなるひさかたのそらこぎわたるわれぞさびしき」という歌が出てきました。月が波に映っていて、その月影を見ていると寂しい、と言ってるんですね。寂しい感情は作者である紀貫之さんの感想ですが、その寂しさが生まれてくる元になったのは、自然的写実とは異質な「リアリティ」です。舟に乗っている時に、波に映る月影を見て、まるで空を渡っている、空を流れているようだと感じているんですね。この時感じた「リアリティ」は、飛行機に乗って実際に空を飛んだ場合とは違う「リアリティ」で、もしかしたら実際の体験よりも複雑な「リアリティ」だったと思われます。だから寂しさも生まれてきたのでしょう。

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