十文字美信・瀧本光國 二人展
11/13(水)-11/25(月)まで、GALLERY Bで彫刻家瀧本光國さんと二人展を開催します。
写真と彫刻を同時に展示するのは、昨年に引き続き、今年が二度目の試みです。
ギャラリースペースを二つに分けて、それぞれの作品を別々に展示するのでは、二人展をやる意味がありません。
せっかくの試みですから、三次元立体である彫刻と二次元平面の写真が、鑑賞者の心の中で融合し、それぞれの作品の特徴が響き合っ
て、新しい世界が生まれるといいなぁ、と思っています。
今回展示する僕の作品は、最新作の「残欠」です。
解体し或いは損壊した仏像の断片や部分を詳細に撮影した作品です。
今年の9月にウクライナのキエフで展示した作品も数点あります。
元々は、1995年の阪神淡路大震災の際に見た光景がきっかけでこの写真は生まれました。
地震のために寺の屋根が落ち、建物が倒壊し、損壊した仏像を目にしました。その時にある感慨が浮かんだのです。完全な姿であるときはもちろん仏像です。しかし、損壊し断片になった「残欠」は、もう仏像とは言えません。僕の目には只の部分でもありませんでした。仏像の断片という存在をも超えて、正体不明の「生々しい何者か」になっていました。
この「生々しい何者か」は、いったい何なのか、確認しないままに放置していました。
昨年のことですが、瀧本さんが鎌倉高徳院の仁王像を修理することになり、ぼくがお願いして修理の現場にお邪魔しました。
解体され横たわっている仁王像の「残欠」を見た時に、かつて見た地震の時の「生々しい何者か」を再び思い出したのです。
仁王像というのは阿像と吽像の二体一対ですが、この時は吽像の足先に目を奪われました。
数百年前に彫られ、完成した仏像の表面に、数百年という時間が覆い被さり、僕の想像を超えた姿に変化しています。
この「生々しさ」はいったいなんだろう。
気になって仕方ありません。
無理をお願いして、足先の「残欠」を持ち帰り、それからしばらくの間、スタジオの空間で見続けていました。
仁王像の足先には見えません。
人間の足先でもありません。
造像当時の仏師の心意気も微かながら感じられるような気もします。
人間の意志を超えた圧倒的な時間の存在を感じます。
何かが生きて呼吸しています。
なんだかとても大事な瞬間に立ち会ってるような気がしてきました。
崇高な一瞬です。
確実に消滅に向かっているモノ、無に還っていくひとつの過程を目撃している確信です。
ジッと見つめていると記憶ともつながっていきます。
イメージが広がって、事実と空想がゴチャゴチャになって漂っていきます。
言葉になりません。
感じる写真は面白いです。
一人でも多くの方に見ていただきたい。
御来廊をお待ちします。