茶毒蛾(3)

一日中暗室に籠って新作のプリントをしていました。
早朝に起きて焙煎をした後、助手の山口君と二人でモノクロの写真をプリントしました。
10時から入って終わったのが18:30分です。その間暗室から出たのはトイレと昼食だけ。隣の事務所スペースでパンとジュースを食した20分ぐらいですから、籠りっきりと言ってもいいでしょう。

プリントはワクワクします。特に新しい作品ですから、期待で想像が膨らみます。

しかし、茶毒蛾の怨念は相変わらず強烈です。
痒みは収まるどころか、体の新しい部位へと広がっています。ついに首と手首にもブツブツが発症しました。親指と人差し指の間のやわらかい部分に、紅い点々が出てきました。


「絶対に掻かないぞ!」と硬く誓っていないと痒さに負けてしまいます。それでもつい無意識に掻いてしまったりすると、もうダメです。触れた場所から始まって、全身に誘惑が広がっていきます。水面に石を投げて水の輪が広がるように。オーケストラの指揮者に従って次々と新しい楽器の音が響き渡っていくようです。
ちょっとでも搔いたら、どんなに我慢しようと思っても掻かずにいられない。あまりに我慢してると寒気がしてきます。全身を思い切り掻きむしったらどんなに気持ちがいいだろう、ああ、掻いてしまおうか、の誘惑との闘いです。この辛さは、拷問に使えるのではないか、などと思えるくらいです。
しかし、人体は不思議ですね。
髪の毛より細い、毛虫の毛の先が触れただけで、全身に症状が現れる。そんなこと言ったら、目に見えないほど微細な細菌に感染して命を落とすこともあるわけだから、原因と結果は未知との遭遇ですね。

患部を見ていると、新しく発症した個所は古いところと比較すると、同じ赤味でも色が明るい。むしろピンクに近い。古くなるほど濃くなってくる。新鮮なほど明るく薄くて、古いほど暗く濃くなる。
痒さにも違いがあります。新しく発症したところを掻くと、気持ち良さも新鮮で、もっともっと掻きむしれ、と誘惑される気がします。体験したことがない気持ち良さが待ってるようで刺激的です。古い場所の痒さはすでに経験済みで、痒さに発見はありません。
「痒い」刺激を我慢する、というのはなんとも深遠な気分になります。皮膚をむしり取ってやりたいような、刃物で突き刺してやりたいような、後先考えられなくなるギリギリのところに追い詰められてしまう気がします。
今ここで掻きむしったらどれだけ気持ちいいか。
今までの人生の中で、似たような誘惑に何度も遭遇してきたような気がします。

僕と茶毒蛾との距離が近づいた気もします。
今度見つけたら退治する前にどんな生物なのか、しみじみ観察してみたい。

 

One Response to “茶毒蛾(3)”

  • 市田享馴 |

    痒みは痛みよりも辛いですよね、お気の毒です…
    寒気がするほどの痒み、さぞかしお辛いことでしょう…
    早く治りますように

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