オープニング会場でのヴィンテージプリント

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昨日(9/5)、「FACES」展、無事オープン。

ギャラリーの場所が日本橋にあるビルの地下なので、展示スペースは階段を下りて行くことになります。
その階段の片側には、上から下まで、いただいたお祝いの花が並びました。
お花ももちろん嬉しいのですが、多くの人が来てくれたのが何より嬉しいです。
皆さん、お忙しい方々ばかかりなので、自分の出不精な性格を考えると、恐縮してしまいます。

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ささやかですが、展覧会のオープニングパーティーをやるのは、普段なかなかお会いできない人に会えるので、いいものです。それに、必ず何人かの新しい方に出会えるのも楽しみなのです。

昨日は、僕にとって、特別な出会いがありました。


会も半ば頃に、ある男性が近づいて来て、
「首なしの写真にはどんなフレームがいいのですか?」
と僕に訊ねました。一瞬、話の意図がわからず、
「はあ?、首なしの写真ですか、そうですね、大抵は白木のフレームを使うことが多いです」
と答えました。訝しい雰囲気が出てしまったかもしれません。すると男性は少し間をおいて、
「私は首なしの写真を持っています」
と言ったのです。
「僕が撮った首なしですか?」
「そうです」

自分の聞き違いかと思いました。今までに首なしの写真を手元から離したのは、ほんのわずか数枚です。オリジナルのプリントではなく、複写か印刷物だろうと思っていたら、
「ヴィンテージプリントです」
と言ったのです。もし本当なら一体何処で手に入れたのでしょう。
「今年のロンドンクリスティーズのオークションで手に入れました」
すぐに、そうか、あれか、と理解しました。
今年行われたロンドンクリスティーズのオークションに、僕の「首なし」が出品されたのを知っていました。オークションカタログの解説文を読むと、確かに僕のヴィンテージプリントです。


一九七四年にニューヨーク近代美術館で開催された「New Japanese Photography」展に、「首なし」が展示されましたが、その折、お世話になった編集者にお礼として「首なし」写真の一枚を差し上げたのです。窓がある廊下の前で片腕の男が立っている作品です。

「写真は手に入れたのですが、フレームをどんなものにしようか、この近くにある画廊まで相談に行くところだったのです。ちょうどあなたの写真展をやっているのを見かけて中に入りました」
そんな偶然があるのだろうか?

「それで、今、写真を持ってるのですか?」
「ええ、持ってますよ」
「本当ですか?見せてもらっていいですか?」
「いいですよ」
この成り行きは信じられませんでした。僕の写真展を知らずに通りかかったなんて、そして、僕が二十四歳の時にプリントした「首なし」を持っているなんて。

黒い鞄から取り出された厚紙の間から、四つ切りの印画紙に焼かれた「首なし」が現れました。


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この時の複雑な感想はうまく説明出来ません。
遠い遠い昔、三十六年前に別れた自分の息子に出会ったような、きっとそんな感覚だったのでしょう。
大げさでなく、胸に熱いものがこみ上げました。

写真はしっかりと焼かれていました。印画紙の余白の部分に少しだけ薄いシミがあるくらいで、作品はまったく問題ありません。きっと今までの持ち主の方も大事に持っていられたのでしょう。

裏を見たら、紙の右端に細く小さな漢字で「十文字美信」と縦書きに書いてありました。

途端に、青年のころの一途な気持ちがよみがえった気がしました。

 

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