緒形拳さんの元気


昨日、6月10日ですが、赤坂游ギャラリーで行われた俳優緒形拳さんの追悼書画展に行ってきました。

緒形さんとは私的なお付き合いは無かったのですが、仕事のご縁で、今回の書画展の発起人の一人に加えさせていただきました。

緒形さんと初めて会ったのは、1990年、KIRIN「一番搾り」の撮影でした。キリンビールが発売する新商品「一番搾り」のイメージキャラクターに緒形さんが選ばれたのです。その頃の緒形さんといえば、映画「鬼畜」や「復讐するは我にあり」で演じた冷徹な殺人鬼のイメージが一般的だったので、クライアントのキリンとしては相当な覚悟で緒形さんに決定したと思います。僕にしても、緒形さん主演の映画はほとんど観ていたので、その人間的迫力とビールが描きたい家庭的平和世界とどこで一致するのか半信半疑でした。

最初の撮影は、新発売の告知広告だったので、スタジオの白ホリゾントをそのまま利用した真っ白な空間に、ラフな格好をした緒形さんが、うまそうにビールを飲む、ただそれだけの映像でした。

準備万端整えてカメラと一緒に待っていた僕の前に現れた緒形さんは、予想どうり、周囲の空気が一変するようなたたずまいを持っていました。表情は柔和でしたが、いわゆる眼が笑ってない、というあれです。これは長い時間の撮影にはならないから、瞬間的な判断が必要だろうと覚悟した。緒形さんの希望で、本物のビールを使って撮影することになった。「ヨーイ、スタート」の声で、カメラのフィルムが回り始め、緒形さんは缶のプルトップを引き、ゆっくりした動作でビールを飲み始めた。体に似合わないぐらいの、やけに太い指が缶を握っている。カメラのファインダーに右目を当てて凝視していた僕の眼に、唇の端から液体がこぼれ落ち、洋服の胸に点々とシミが出来ていくのが見えた。かまわず飲み続け、しばらくしてから唇を缶から離し、緒形さんはレンズを見た。その視線は男の強さ、やさしさ、かわいさをすべて持っている魅力に満ちたまなざしだった。


とても良かったけど、液体がこぼれたので、もう1回お願いします。周囲から声が上がった。それを聞いた緒形さんはこう言ったのです。

「これが俺の飲み方だよ」

一瞬、スタジオが静まり返った。そのときの緒形さんの眼の中に「復讐するは我にあり」で見覚えのある、あの恐ろしい光がちらりと見えた・・・気がした。

「一番搾り」の広告は1995年まで6年間も続いた。途中、監督は変わっても、スチール写真ともども、僕は緒形さんの撮影をずっと続けることができた。以後、TOYOTA「コロナプレシオ」、AOKI、三洋電機、それに、2000年には、雑誌「シアターガイド」のために舞台「ゴドーを待ちながら」の衣装で、個人的に撮影させていただいた。

追悼書画展の会場で、久しぶりに國實さんと会った。彼女は25年間、緒形さんのマネージメントをしてこられた。緒形さんの書や絵を、当時の思い出を語りながら一緒に見て歩いた。緒形が書を書くことに関して、当初私はあまり気乗りしなかったのよ、と僕の眼を見ながら言った。俳優の余技には思われたくなかったのだそうだ。そして、「元気」と書かれた作品の前で立ち止まると、なんだか元気に見えないから不思議ね、とつぶやかれた。
 

 

2 Responses to “緒形拳さんの元気”

  • 森沢のり子 |

    中村さん(電通さん)のfacebookで、十文字さんのブログ読ませていただきました。一番搾り、私のターニングポイントになったお仕事でした。緒形さんに、十文字さんに、安西さんに、木下さんに、中村さんに、真也さんに、北村さん(とても、優しくて怖い人達)に出会うことが出来、覚悟を決めた仕事だったように思います。

    東慶寺の皆さんに、十文字さんの近況を伺っています。今度、鎌倉に行ったら、十文字さんのお店にお邪魔したいと思っています。

    • Bishin |

      森沢さん、お元気ですか?しばらくお会いしていませんがお変わりなくご活躍のことと思います。緒形さんは残念なことでしたが、一緒に仕事が出来たことは僕の誇りです。鎌倉に来た折にはぜひ僕のコーヒーを飲みに来てください。

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