顔つき

「ケンタウロス」

5月24日、横浜のオートバイ集団「ケンタウロス」現在の主要メンバーが集まった。
わたしも参加させてもらい写真を撮った。

写真集『KENTAUROS』を上梓してから41年の歳月が過ぎ、当時撮影したメンバーで参加出来たのは2人だったと思う。多くは鬼籍に入り、あらためて時間の推移を実感した。

写真を撮りながら何かが違う、と思った。

顔が違うのだ。

以前のメンバーとは人々の顔つきが違う。
余裕がある?
柔らかくなった。
いや、それだけではない、なんというか、いわゆる人柄が簡単には見えてこないのだ。

写真を撮る、というのは撮る人、撮られる人との関係の密度の証明でもあるから、見えないのはそれだけ関係が薄いのだ。
でもね、どんな人間関係であろうとその瞬間を写真にする自信はある。
私が言いたいのはそうではなくて、顔そのもの、実体としての顔から受ける感覚とでも言えばいいのだろうか。

41年前とは存在としての表情の役割りが変化したのかもしれない。

あるいは知らず知らずのうちに、生きていくことと表情の結びつきが薄くなったのかもしれない。

この顔つきの違いが時代なんだと思う。

良い、悪いではなくて、顔も時代が作っていくのだ。


 

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