1970年代の作品(2)

水中ヌード 1971年

1971年4月、24歳で写真家としてデビューした。といっても仕事のあてはまったく無かった。生活も逼迫していたが、何故か根拠のない自信だけはあった。チャンスさえあれば、今までにない作品を撮ることが出来ると思っていた。今考えても不思議なくらい自信満々だった。数ヶ月経った頃、相前後してマガジンハウスの編集者椎根大和さんと、集英社の編集者小田豊二さんから仕事の依頼が来た。今回アップした写真は、集英社『週刊プレイボーイ』の巻頭ヌードグラビアのために撮影した作品です。

小田さんから声がかかるまで、ヌード撮影の経験は無かった。女性経験も貧しかったし、そもそも、女性の身体的な美しさを表現するには、多分に被写体に依存しなければならず、写真家になったばかりの新人に、女性の性的な魅力を表現するのは無理と諦めていた。そのかわり、それまであまり見たことないヌード写真なら撮れるかもしれない、と考えた。全裸でありながら必死になる状況を作り出せば興味深い写真、面白い写真になるのではないかと思った。

水中でヌードを撮る。

浮力に抵抗し、息苦しさにも耐えなけれはならない。
無重力に近い状態に置かれた全裸の女性を見たいと思った。
ただ、私も水中にいては、思うような写真が撮れない。どうすればいいのだ。それで競泳用プールなら泳いでる選手のフォームチェックする窓があることを知り、その窓から覗くように撮影することを思い付いた。結果、都内にある実現可能なプールに行き着いた。

水中ヌードといっても、女性が一人全裸で水中を漂うだけでは雑誌6ページ、最低4カット作り出すのは無理だ。
日常のよくある出来事を考え、数人でそれを水中で演じてもらう。自転車に跨る女、すれ違う男たち、たったそれだけを考えた。自転車に乗る女にすれ違う場面なんて、作り出すのは簡単だと思うかもしれないが、実際にやってみると想像したようにはいかない。現実はアイデアを超えていく。
素人は水中で演じることなんてとても出来ないのだ。
必死になった存在が、私の計算を軽々超えていくことを期待した。

登場する男たちの役は、かつて私が働いた六本木スタジオのスタジオマンにお願いした。


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