ニセフォール・ニエプス(1)

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8/10、Chalon-sur-Saône に行った。
シャロン シュル ソーヌ といっても、何だかわからないのは当然です。
今回フランスに来て、どうしても行きたかった場所でした。

写真を発明したのは、1839年、フランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールですが、実際には1824年9月にニセフォール・ニエプスが、世界で最初の写真撮影に成功していました。

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ニエプスの生まれ故郷がシャロン シュル ソーヌ で、ニエプスが撮影したまさにその現場が、現在も残されているのです。
何処からどんな風に撮ったのか、現場に行って僕も彼が撮った風景を見てみたいと思ったのです。

パリ在住の僕の友人、市田Kyoさんの運転で、午前7時にパリを出発。ニエプス記念館に到着したのは11時を過ぎていました。距離にするとパリから320k強です。


ニエプスは1765年3月7日にブルゴーニュ地方の南部、シャロン シュル ソーヌ に生まれました。父は弁護士、母は地元の名家の出身です。多くの土地を所有している裕福な家庭で育ちました。フランスやイタリヤを転々とした後、36歳で生まれ故郷のシャロン シュル ソーヌ に帰ってきます。蒸気を利用した動力や自転車の原理などに興味を持ちますが、彼が最も関心を寄せたのはカメラオブスキュラでした。
カメラオブスキュラとは、当時、多くの画家が絵を描く時に利用していた道具です。
箱の一方に極小の穴を開け、通過した光が対面の箱の内壁に上下逆に像を結びます。
画家は映し出された映像を紙に写し取ることで、よりリアルな絵を書くことが出来ます。西欧の人たちはかなり早い時期からカメラオブスキュラの原理を知っていました。針穴写真と同じ、カメラの原型ですね。この頃は針穴の部分にレンズを嵌め込んで、より使いやすくなっていました。

ニエプスは、光に対して非常な関心を持ち、このカメラオブスキュラで現れた映像を定着することは出来ないか、と考えたのです。
まず、光の像を結ぶ面に塩化銀を塗った紙を置くと、光が当たった箇所が黒くなることを発見します。
ネガの発明ですね。
1816年のことです。
しかし、そのままでは、光が当たるとすべての面が真っ黒になってしまいます。
気体化したヨウ素を箱の中に充満させ、光を当てた塩化銀の紙を入れると、光が当たらない部分がヨウ化銀化合物となり黒くなります。白と黒が反転して正常に映像が見えるようになりました。
まだ大きな問題が残っています。
このままでは映像が消えてしまうので、出現した映像を定着させなければなりません。


ニエプスは、アスファルトを構成している土に着目しました。
光に当たると固まり、水に溶けにくい性質があります。
金属板にラベンダーのエッセンスで溶かしたアスファルトを塗り、カメラオブスキュラの内側に設置して感光させるのです。
その後水で洗い流すと画像が浮き上がりました。
1824年9月16日のことです。
記念すべき最初の写真の誕生です。
何と露光時間は2日、ないし3日間だったそうです。

冒頭に添付した映像がその写真で、heliographie(エリオグラフィー、太陽で描くの意味)と名付けました。
解りにくいかもしれませんが、上部は空、画面中央に建物の屋根、左右に壁と屋根の一部、中央左建物の奥に樹木の枝葉が写っています。
2階の高さから撮った映像のようです。

次回は撮影した場所のことを書きます。
 

 

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