十文字 美信
写真家。
40年以上、独自の作品を発表し続けている。
デビューから現在まで一貫して、鑑賞者の記憶や心理に深く分け入り、写真のイメージを広げようとする。
1947年3月4日神奈川県横浜市神奈川区神之木台115番地にて、父十文字運次郎、母美佐保の長男として生まれる。姉二人、弟が一人いる。
11歳の時に両親が離婚。以降、母姉弟と別れ、住居を転々とする。
14歳で横浜市立南中学校の美術教師中島けいきょうと出会う。アルチュール・ランボーの「地獄の季節」を愛読していたことがきっかけで、以後私淑する。中島が神奈川県立神奈川工業高等学校木材工芸科の美術教師に転任するのを追って、同校同科に進学する。1年後輩の藤崎正記と親交を深める。
16歳の時、剣持勇が設計デザインした藤椅子に魅せられ、目白にあった剣持宅のガレージで待機し、深夜帰宅した剣持勇に自らデザインした椅子のスケッチなどを見せる。「フルクサス」「具体美術」「ハイレッドセンター」などの作品を観て前衛芸術の波をかぶる。横浜港で沖中士の仕事をやりながら学費を稼ぎ高校を卒業するが経済的理由で大学進学を断念。
1965年神奈川県工業試験所デザイン研究室に入所。この頃からモダンジャズに傾倒し、工業試験所を抜け出して、横浜野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」に入り浸る。藤崎の紹介で舞踏家大野一雄を知り、その縁で土方巽を知る。少しずつ写真を撮り始める。20歳の時に工業試験所の所長が変わるのに伴い、全所員の業務報告を義務付けられ、それをきっかけに退職。
1967年東京総合写真専門学校に入学する。最初の課題「三社祭」の作品で、祭りを見物する人々の足元ばかりを撮影した作品を提出。審査した講師たちからさんざん酷評され、馬鹿馬鹿しく思い自ら退校する。公衆電話ボックスの電話帳から赤坂スタジオを見つけ、就職の希望を伝えると飯田輔広社長から六本木スタジオを紹介される。1年後の1969年飯田社長の紹介で、当時六本木スタジオの3階に事務所があった写真家篠山紀信の助手になる。
1971年24歳で独立。デビュー作「untitled」(首無し) が当時写真界の天皇といわれた「カメラ毎日」の山岸章二に認められ、ニューヨーク近代美術館で開催された「New Japanese Photography」展 (1974) に招待され出品する。デビューから一貫して鑑賞者の記憶や心理に深く分け入り、写真のイメージを広げようとする。「近眼旅行」(1972)、「グッドバイ」(1972)、「ピクニック」(1978) などを制作。1976年矢代眞理子と結婚。
80年代に入り、撮影の対象を自身の記憶から歴史をドキュメントする方向に拡げ、ハワイ日系移民一世たちを撮影する。取材途中で、歴史を構成していくのは一人一人の人生そのものだと気付き、人物ポートレートを主体に自身の心情を風景で表現した作品集『蘭の舟』(1981) を刊行。『蘭の舟』制作中に不安感神経症を病み、広尾の日赤病院に通院する。妻眞理子の薦めと医師のアドバイスもあり犬を飼い始める。その流れで犬に関する文献を調べているうちに民俗学者白鳥芳郎の著作から、犬を始祖とする神話を持つヤオ族に興味を持つ。病んだ神経症も治らず、1981年思い切ってインドシナ半島北部山岳地帯に暮らすヤオ族の村へ入る。6年後、取材した成果を写真と文章でまとめた『澄み透った闇』(1987) を刊行。ヤオ族の村で暮らすうちに自国の伝統文化を知る重要性に気付き、帰国後、弥生時代から近世まで通底する黄金美術の存在に着目する。日本の黄金美術は財宝的価値が主ではなく、黄金が反射する金色光線に価値があるとの見解を見出し、自ら選んだ美術品226点を3期に分けた。それぞれ時代の特徴を風・天・人の言葉に象徴させ写真と文章でまとめた作品集『黄金風天人』(1990) を刊行する。
以後、自らの体験や記憶を掘り下げ、日本人特有の美意識との接点を見つけようとして現在に至る。
1989年考案した3D撮影技法で特許を取得。四谷Alternative Museumで写真と3D映像を使ったインスタレーション「黄金浄土」を開催。
1990年ボストン美術館で開催された日本の王朝美術展「COURTLY SPLENDOR Twelve Centuries of Treasures from Japan」にSONYハイビジョンカメラで撮影した3D動画作品「黄金浄土」を発表。
1993年3D写真集『ポケットに仏像I、II』を刊行。続けて『ポケットに平等院』(1974)、『ポケットに黄金』(1974) を刊行。伝統的美意識侘びに注目し、自然、茶、現代とつなげた作品集『わび』(2002) を刊行。
2004年多摩美術大学教授となる。
1970年代から2000年代初期までの作品をまとめた『感性のバケモノになりたい』(2007) を刊行。
2009年一眼レフスチールカメラの動画機能に着目し、映像作品「さくら」「おわら風の盆」を発表し、スチールカメラ動画機能を使った最初の作家になる。2009年にカメラのレンズからフィルムまでの間に挿入する自作のアタッチメントを考案し、多重露光した作品「FACES」を発表。2010年には枯れていく花の不思議な造形、色彩に魅かれた作品「神殿」を発表。
2013年に14〜16世紀に日本で制作され、残された仏像の部分に注目した作品「残欠」を発表。
2014年多摩美術大学教授を定年退職。この頃水の様態に注目した作品「滝」「刻々」を発表。個人的な記憶とつながる日常の光景をスナップした作品集『或るもの』(2015) を刊行。作品「滝」「残欠」「神殿」「白仏」「道」「刻々」「・・・のごとく」の7作品を一冊にまとめた作品集『常ならむ』(2017) を刊行。ニューヨークの出版社「ASSOULINE」より『KOYASAN』(2022) 刊行。
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