2022/08/23

「Pink」

1971年6月、六本木交差点で当時雑誌『anan』編集者椎根和(しいね やまと)さんにバッタリ出会った。
『anan』以前の椎根さんは『平凡パンチ』編集者で、当雑誌のグラビアページを加納典明さんが撮影する際の担当編集者だった。私が六本木スタジオで働いている頃、加納さんに呼ばれて何度かお手伝いさせていただいたことがあり、その都度椎根さんにとてもお世話になっていた。

「今何してるの?」「何もしてないんです」「ananの写真撮る?見開き1点だけど」「やらせてください!」こんなやりとりがあった。
私は篠山紀信さんの助手仕事を辞めたばかりだった。将来のアテもなく、ひとまず即席ラーメン、焼きそばを大量に買い込み飢えを凌ぐ方法を考えていたところだったので、椎根さんからの話は渡りに舟だった。
「ひとつお願いがあります。最高のスタッフとやりたいのですが、、、」
多分、これが最初で最後の仕事になると思ったので、思い切って椎根さんに言った。写真家としてやっていくには精神力が弱いと自覚していた。
服は三宅一生さん、ヘアーメイクは伊藤五郎さん、スタイリストは木村シゲルさんの名前を出した。助手時代に経験した中で彼等は最高のセンス、技術をお持ちのプロフェッショナル達だと思っていた。
「うーん、面白いから頼んでみるけどやってもらえるかどうか」。
当たり前だよね、これからデビューする新人カメラマンの撮影に三宅一生、伊藤五郎、木村シゲルのスタッフを組むなんてとても考えられない。
ところがです、3人の方すべてOKの返事だったのです。しかも撮影当日全員現場に来てくださることになった。

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2022/08/18

可愛い訪問者

バッタ

午前中環八で可愛い訪問者。

昨日、横浜で駐車している時バッタが車内にいることに気づいた。窓を開けて外へ誘導した、と思っていたのだが、実は車内に留まっていたのかもしれない。昨日のバッタとは違う個体だろうか、確認する方法もないけど。ステアリングを回して逆さになっても動かない。なんとか逃してあげようと考えていたらパッと私の首に飛びついた。コツッと意外なほど強い刺激だった。元気な証拠だあ、と気持ちが明るくなった。
わざわざ話すほどでもない些細なことだけど。


2022/08/03

「十文字美信1970年〜80年代の作品」

untitled (首なし)

BISHIN JUMONJI GALLERY再開に向けて準備中。

「十文字美信1970年~80年代の作品」

写真家としてデビューした1971年6月、私は24歳になっていた。この年マクドナルド1号店が銀座三越に出店し、日清カップヌードルが新発売され、NHK総合テレビが全番組カラー化に踏み切るなど来たるバブル景気に向けて、大衆が文化の中心になるべく着々とエネルギーを溜め混んでいるような時代だった。前年に起きた三島由紀夫割腹自死事件の記憶もまだ生々しく残っていた。助手時代、自死直前までの3ヶ月間三島さんと身近に接触した印象から、まさか本当に割腹するとは私自身も想像出来なかった。

人生は予期せぬ出来事の連続である。

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