2022/09/10

「Heavy/週刊プレイボーイ/1972年」

「Heavy/週刊プレイボーイ/1972年」

1971年、集英社週刊プレイボーイ編集者小田豊二さんからヌード撮影の依頼があった。
小田さんは当時篠山紀信さんの担当編集者で、私が助手時代に意気投合した。篠山さんの写真集『オレレオララ』の撮影でブラジル、リオデジャネイロへ行った際にホテル同室となり、ロケの間中お互いに人となりをさらけ出した。

私が夜中にコッソリ部屋を抜け出して貧民窟へ通っていたのも、撮影が休みの日にはコパカバーナの海岸でジュース売りを手伝っていたことも、大雨の後、地元の女の子の家で食事してたことも、全部見逃してくれた。
私が写真家になったら一緒に仕事しようと話していたので、約束を実行してくれることになったのだ。

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2022/09/10

「水中ヌード/週刊プレイボーイ/1972年」

水中ヌード/週刊プレイボーイ/1972年

写真家としてデビュー当時、ヌード撮影は私の悩みの一つだった。

モデルがセクシーなポーズをとればとるほどシラけてくる。仕事の上でモデルが拵えた表情をセクシーに感じるほど素直な性格ではなかった。
自身とモデルの個人的な関係を撮るのではスケールが小さくてつまらないし、なんにせようわべだけのセクシーさでは我慢出来ないとしたら、どうすればいい?
やはり、ことここに至って真剣必死にならざるを得ない状況を作り出し、その環境でのヌード撮影を考えた。重力が浮力を上回り、加えて息が出来ない苦しさから生まれる予測不可能なドラマを期待して、水中で撮影することを思いついた。

周知の撮る撮られるの関係から、一瞬でもいい、虚構の破れ目を作り出したかった。

全裸になったモデルを自転車に乗せ、真紅の布を沈めたプールに入ってもらった。群がる若い男たちは以前私が働いていた六本木スタジオのスタジオマンに頼んだ。

編集者→小田豊二


2022/09/08

「シフォネット/資生堂雑誌広告/1973年」

シフォネット/資生堂雑誌広告/1973年

1972年当時、資生堂デザイナー太田和彦さんから「シフォネット」という商品があります、雑誌広告のための撮影をやりませんか、と連絡があった。『カメラ毎日』『anan』に私が発表した写真を見て、注目してくれたのだろう。

資生堂の広告といえば、撮影は横須賀功光さんの仕事が圧倒的だった。ほとんど独壇場とも言える活躍だったので、もし自分がやることになれば違う世界観に挑戦してみたかった。
メイクアップした女性の美しい顔から、もう少しアングルを引いて、美しい女性がいる不思議な場を作り出せないかと考えた。資生堂の基礎化粧品を使ってメイクすれば美しくなるのは必然だから、と開き直った結果だった。
今まで見たこともないインパクトある広告写真を考えてみたかった。

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