2022/09/28

「林原/低カロリー甘味料広告/1985年」

林原/低カロリー甘味料広告/1985年

ギャラリー展示作品の内

「林原/低カロリー甘味料広告/1985年」

アートディレクター宮永磐夫さん、コピーライター中塚大輔さんから株式会社林原の新商品、低カロリー甘味料の広告撮影依頼があった。

当初は5年計画の広告展開だった。
その初年度は誰が見ても減量が必要だと思う肥満体の被写体をモデルとして、5タイプ広告展開することになった。
広告立ち上がりは、潜在的に持ってる肉体と性に関するコンプレックスをビジュアル化しようと考えたのだ。広告にはタブーとも言えるネガティブな視点からあえて出発した。

何につけても極端な世界を求めるならアメリカだろう。というわけでロサンジェルスへ行き、肥満体の若い女性をオーディションした。しかし、思ったほど集まらなかった。そこでサーカスに出演してる二人を口説いてもらった。

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2022/09/27

「ゆれる、まなざし/資生堂広告/1976年」

ゆれる、まなざし/資生堂広告/1976年

ギャラリー展示作品の内

「ゆれる、まなざし/資生堂広告/1976年」

資生堂秋のキャンペーンは、同社にとって最も重要な広告と言ってもいいだろう。化粧品各社とも秋のシーズンはメイキャップに力を注ぐからだ。

まず、その年のモデルを決めなければならない。

アートディレクターの鬼澤邦さん、コピーライターの小野田隆雄さんと一緒にモデルオーディションを行った結果、ある一人の女性に注目が集まった。真行寺君枝さんといい、当時まだ16歳だった。
オーディションの会場でも一人だけ縫いぐるみのリュックを背負い、物静かな雰囲気を纏っていた。彼女の視線は他の誰も持っていない強い魅力と深さがあった。
われわれグラフィックチームは真行寺君枝さんを推したが、資生堂宣伝部としての見解は、秋のキャンペーンモデルを彼女と決定するには若過ぎないか、だった。
今は幼さも感じる若さが目立っているが、撮影になれば年齢を超えた魅力を発する予感があった。

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2022/09/27

「河原井緑さん/雑誌写楽/1980年」

河原井緑さん/雑誌写楽/1980年

ギャラリー展示作品の内

「河原井緑さん/雑誌写楽/1980年」

「原宿でスカウトされたらしいよ」と編集者の小田豊二さんから紹介された時は、果物のようにみずみずしい18歳だなと思った。
かつての日本の女優さんが持っているノスタルジックな雰囲気を感じた。幼さと成熟が交互に現れるような、見方によっては同時に現れているような、私の半分近い年齢なのに、時折りしぐさの内に、母という女性が持つ慈愛の雰囲気さえ感じていた。

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