2022/09/08

「シフォネット/資生堂雑誌広告/1973年」

シフォネット/資生堂雑誌広告/1973年

1972年当時、資生堂デザイナー太田和彦さんから「シフォネット」という商品があります、雑誌広告のための撮影をやりませんか、と連絡があった。『カメラ毎日』『anan』に私が発表した写真を見て、注目してくれたのだろう。

資生堂の広告といえば、撮影は横須賀功光さんの仕事が圧倒的だった。ほとんど独壇場とも言える活躍だったので、もし自分がやることになれば違う世界観に挑戦してみたかった。
メイクアップした女性の美しい顔から、もう少しアングルを引いて、美しい女性がいる不思議な場を作り出せないかと考えた。資生堂の基礎化粧品を使ってメイクすれば美しくなるのは必然だから、と開き直った結果だった。
今まで見たこともないインパクトある広告写真を考えてみたかった。

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2022/09/07

「グランドキャニオン/1974年/ミノックスカメラ」

「グランドキャニオン/1974年/ミノックスカメラ」

1974年4月、ニューヨーク近代美術館で開催された「New Japanese Photography」展のオープニングパーティーも終わり、当時MOMAの写真部長だったジョン・シャーカフスキーさんにご招待のお礼と別れの挨拶に行った。その折、この旅行は私たち夫婦の新婚旅行でもある、との話をしたところ、グランドキャニオンへ行ったらいいよ、とのアドバイスを受けた。
元々、写真展が終わったら、いかにもアメリカ大陸らしいスケールの場所へ行く計画だった。ナイアガラの滝かグランドキャニオンへ行き、ミノックスカメラで風景を撮ろうと思っていた。

写真はフイルムの粒子が構成されることで画像として認識されるなら、極小フイルムカメラで撮影し、現像後極大に伸ばしたら、粒子が見えるのか画像が見えるのか試したかった。

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2022/09/02

「マカロニサラダ/雑誌anan/1971年」

マカロニサラダ/雑誌anan/1971年

1971年、雑誌『anan』編集者椎根典子さんから撮影の依頼があった。衣装は堀切ミロさん、モデルは山口小夜子さんだった。
小夜子さんと初めて会ったのは堀切ミロさんの事務所だったと思う。小夜子さんが21~22歳だったろう。典子さんから「とても雰囲気ある女性だよ」と聞いていた。
私がミロさんの事務所へ行くと小夜子さんはすでに部屋の隅で座っていた。静かな、というよりは寂しそうに見えた。会話も少なかったが、佇まいの奥に意思の強さを感じた。セーラー服のような衣装を着ていたせいか、年齢よりも若く見えた。

撮影場所は福島県郡山の農家に決めた。
原色の野菜や果物の絵を大胆に描いたミロさんのワンピースは、日本の農家にはしっくり合わないだろうと思ったからだ。
小夜子さんの静かな佇まい、ミロさんの現代的な衣装、日本の農家、この3要素がスパークして生まれる違和感に巻き込まれてみたかった。

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