1974『流行通信』表紙
1974『流行通信』表紙。
M:山口小夜子、AD:浅葉克己。
1971年4月、24歳で写真家としてデビューした。といっても仕事のあてはまったく無かった。生活も逼迫していたが、何故か根拠のない自信だけはあった。チャンスさえあれば、今までにない作品を撮ることが出来ると思っていた。今考えても不思議なくらい自信満々だった。数ヶ月経った頃、相前後してマガジンハウスの編集者椎根大和さんと、集英社の編集者小田豊二さんから仕事の依頼が来た。今回アップした写真は、集英社『週刊プレイボーイ』の巻頭ヌードグラビアのために撮影した作品です。
小田さんから声がかかるまで、ヌード撮影の経験は無かった。女性経験も貧しかったし、そもそも、女性の身体的な美しさを表現するには、多分に被写体に依存しなければならず、写真家になったばかりの新人に、女性の性的な魅力を表現するのは無理と諦めていた。そのかわり、それまであまり見たことないヌード写真なら撮れるかもしれない、と考えた。全裸でありながら必死になる状況を作り出せば興味深い写真、面白い写真になるのではないかと思った。
3月からコロナの影響で、仕事のキャンセルが続き、また外出自粛要請のおかげで自然と自由になる時間が増えた。この機会に、かつてフィルム撮影した作品をデータ化することに決めた。
といっても、写真家になってから今年で49年、初めての作品から50年を経た。空調の効いた室内で保管していたけど、経年劣化が激しい。1970年代当時、私が使ったカラーフイルムは35mmサイズは「コダクローム」、ブローニーは「エクタクローム」だった。あらためてチェックしてみると、「エクタクローム」の劣化が激しい。湿気の多い環境にモロ影響され、コマにによってはカビが広がり、色ヌケが激しく、殆どのフイルムはマゼンタ色だけが残る状態。
まず選んだフイルムを出来る限りクリーニングし、スキャンした画像データをフォトショップで現像し保存することにした。
私はもちろんフイルムで写真を覚えた世代なので、PCで作品をデータ化することには少し抵抗があった。しかし、フイルムで保存するには環境問題で限界があるのと、量が多過ぎて、事務所の空間では無理。
Recent Comments