仏の顔は一つじゃない
仏の顔は一つじゃない。
時が経って目鼻がすり減りあるいは欠損して白くなったお顔は、表情を失った分だけいかようにも見えてくる。少し怒っているようにも微笑んでいるようにも、知人の誰々のおもかげさえ浮かんでくる。さらに見つめていると自分の顔に見えることすらあってギョッとする。
白仏に出会いたくて国東半島へ来た。大分は磨崖仏や石仏の宝庫だ。
杵築市山香町の農道を歩き、さらに道から外れた坂道を登り、竹藪をかき分けた奥の暗い岩壁に石仏はあった。文字どおりひっそりと、岩窟の奥は眼を凝らさなければ見えないほどの暗がりである。
あたりの様子から察すると、以前に人が来たのはいつのことなのか。肩に枯葉が落ち、頬には蜘蛛が這った痕迹がある。
私が見つめているのは目の前にある石の仏から美を見出し、そこにはあり得ない大きなものを求めているのだとも思う。
一期一会という言葉を噛み締めている。