ニセフォール・ニエプス(2)
ニエプスが「エリオグラフィー」を撮影した場所は、研究室にしてた建屋の2階窓から写したことがわかったのですが、該当する窓を特定できないでいました。
1820年代と現在では、周囲の環境も変わっています。当時は庭であった場所の一部に自動車道路が通り、植生ももちろん変化しています。失われたものも多く、残っていたとしても、190年以上の時の経過ですっかり様変わりして、ニエプスが撮影した場所を決めるのは難しかったと思います。
残された写真や建物の図面をコンピューターに入れて解析すると、一つの窓が候補に上がりました。しかし、その窓から見える屋根の角度がどうしても写真と一致しません。
詳しく検討していくうちに、ニエプスが撮影した当時は、窓が70cm右へズレていたことが判明しました。
冒頭の写真はニエプスが最初に撮影した窓です。
「カメラオブスキュラ」を設置して、当時を再現していました。
僕が興味深く見たのは、「エリオグラフィー」で撮影した窓があるフロアーをさらに奥へ進むと階段があり、登った所が広い屋根裏部屋になっていました。
頭上は剥き出しの梁に足元は分厚い板の床です。文字通りの屋根裏がニエプスとダゲール二人の研究室だったとは、感慨深いものがありました。
19世紀に発明されたものの中でも「写真」は革命的と言ってもいいほど、人々の生活や文明社会に大きな影響を及ぼしました。印刷の発明、交通機関の発達と伴い、新しい芸術表現手段に止まらず、政治にも大きく利用され、世界的規模で一気に普及していきました。今で言えばノーベル賞ものだと思われる大発見も、パリから350km離れた窓の少ない、薄暗い屋根裏部屋から生まれたのです。
ダゲールは自分が興行していたパリの「ジオラマ館」をどう始末してニエプスの屋根裏まで来たのだろう。
先見の明がある、といえばそれまでですが、ダゲールの「ジオラマ」は結構流行っていたと言われています。
それなのに、ニエプスが撮影した映像を目にしたダゲールは、直感的に「これはいける」と判断したのでしょう。
「歴史を変えるかもしれない」と。
ダゲールはそれまで写真の研究などしてこなかったにも関わらず、彼の直感は大当たりでした。ニエプスが先に亡くなり、後を引き継いだダゲールがニエプスの研究を発展させて「ダゲレオタイプ」を考案し、「写真発明の父」になってるのだから。
歴史が織りなす綾は不思議でもあり、皮肉でもありますね。
人間的には生臭い匂いがするダゲールこそ、むしろ天才と言えるかもしれません。
ニエプスはどんな思いで現在の評価を見ているだろう。
あれやこれや考えながら、ニエプス、ダゲール二人が写真発明に没頭していた屋根裏空間に、しばし佇んでいました。
引き続き、ニエプス美術館へ行った。
決して大きくはないが、写真美術館としての役割をよく考えられています。しかも、空間や展示のデザインが美しい。
ニエプスの業績を記念した空間で、現代の写真家の企画展を開催する。
このような空間で写真が発表出来れば、写真家冥利に尽きますね。